―― 台湾の人口はなぜ「西」に集中し、東は闇のままなのか ――
夜の台湾を、衛星写真で見ると驚く。
北の台北から南の高雄まで、西海岸に沿って光の帯が一本、切れ目なく伸びている。
それはまるで、島の縁に貼り付いた巨大な都市の連なりだ。
対して東側は、花蓮と台東の小さな光点を除けば、ほぼ真っ黒である。
人口2300万人のうち、95%以上が西に住み、東に住むのは数%だけ。
ここまで極端な偏りを見せる島は、世界でもほとんど例がない。
なぜ台湾はこんな形になったのか。
答えは、この島が「どう作られたか」という、地球側の事情にある。
西側は「川が作った土地」
台湾西部が人の居住地として発展した理由は、極めてシンプルだ。
——土地が勝手に生まれたからである。
中央山脈で削られた土砂は、濁水渓や曾文渓のような大河によって西へ運ばれる。
そして台湾海峡は非常に浅い「大陸棚」のため、流れ着いた土砂がそのまま堆積し、
巨大な扇状地と沖積平野(嘉南平原・彰化平原・台中盆地)を作り続けた。
言い方を変えれば、西側の大地は
山が削れ、海が埋まって増えた土地である。
平らで、肥えた土で、水がある。
人間にとってこれ以上ない理想の設計図が、自然に揃ってしまった。
結果、西側は農業地帯となり、集落が生まれ、都市が連なり、鉄道と高速道路と新幹線がつながり、台湾という国家の骨格そのものになった。
東側は「衝突現場」のまま
一方、東側は西とはまるで別世界だ。
ここはフィリピン海プレートが、ユーラシアプレートに向かって押し込む地殻衝突の最前線である。
・海岸線のすぐ裏に海岸山脈が壁のように立ち上がる
・その背後にはさらに中央山脈(3000m級)がそびえる
・海は浅くならず、すぐに深さ数千メートルのフィリピン海盆へ落ち込む
つまり、東部には
川が平野を作る余地が存在しない。
土砂は深海へ沈み、土地は育たない。
人が住めるのは、中央山脈と海岸山脈のわずかな隙間――
細長い花東縦谷だけだ。
この構造だけを見ても、人口が偏る理由は明白だ。
東側には、住むための「平らな地面」がない。
「後山」と呼ばれた歴史的な隔絶
地形の非対称は、歴史にもそのまま刻まれている。
中央山脈は、人の往来を拒む巨大な障壁だった。
清朝〜日本統治初期にかけて、東部は
「後山(山の裏側)」と呼ばれ、西部の行政が実質的に届かない地域だった。
いまでも東部に向かう交通は、
・断崖絶壁を削って作られた蘇花公路
・トンネルだらけの台鉄(臺灣鐵路)
に限られ、自然が許した狭いラインを縫うように走っている。
この「隔離」の歴史が、東部の手つかずの自然と、原住民族文化の保持につながったとも言える。
西の喧騒、東の静寂
地形、気候、歴史——そのすべてが「非対称」だった結果、
台湾の人口地図は以下のように定まった。
西部:文明が積み重なった光の大地
東部:自然が支配する暗闇の大地
西部の夜市は人で溢れ、都市は光を放つ。
東部では、誰にも邪魔されず太平洋を眺めることができる。
この対比は、文化の差異としても表れる。
西は商業と移民文化の坩堝(るつぼ)、
東は自然と少数民族文化の宝庫。
1つの島に、二つの価値観が併存している理由も、やはり山脈にある。
人口分布は、地殻変動が描いた“地図”である
台湾の人口が西に集中し、東が静寂のままである理由は、
政治でも、経済でも、民族でもない。
地殻の動きがそのまま人口地図になったからである。
東西非対称の造山運動。
浅い海が作った平野。
深海に落ちる断崖。
隔絶された谷。
衛星写真に映る光と闇は、
この島を押し続けるプレートの力の可視化に他ならない。
台湾は今この瞬間も隆起し、削られ、海に土砂を流し続けている。
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