―― 玉山という名前の変遷と、動き続ける岩塊のこと ――
台湾で最も高い場所はどこか。
その答えは、紙幣の裏側に描かれている。
1000元札の背面。
雲を突き上げるように立つのが、標高3,952メートルの玉山だ。
その高さは、並みの山のものではない。
ユーラシアプレートとフィリピン海プレートが正面衝突し、
逃げ場を失った岩盤が上へ押し上げられた結果として生まれた、巨大な地殻の皺(シワ)である。
物理的に見れば、玉山はただの変成岩の塊だ。
しかし、この島を治めた人々は、その姿にそれぞれの意味を読み込み、
時代ごとに異なる名前を与えてきた。
パットンカン(Patuungkuonü) ― 先住民族が見ていた「輝く山」
玉山に最初に名前を与えたのは、文字を残さない人々だった。
ツォウ族やブヌン族といった山岳の先住民族である。
ツォウ族はこの山を「パットンカン」と呼んだ。
意味は諸説あるが、「石英の山」「光る山」と説明されることが多い。
冬に積雪し、あるいは石英砂岩が陽光を受けて白く輝く姿。
その光は、彼らにとって避難の目印であり、魂の帰る象徴でもあった。
外来の測量図に描かれる前、
この山はまず「祈りの対象」としてそこにあったのだ。
モリソン山(Mt. Morrison) ― 海から来た異邦人がつけたラベル
1857年。
アメリカ商船アレクサンダー号の船長、W・モリソンが
海上から雲の上に突き出る高峰を目撃する。
彼は航海記録にその峰を書き留め、自らの名を付けた。
こうして欧米の地図には「モリソン山」という名前が広がっていった。
海から眺めた者が、海の論理で付けた名前。
土地への畏れも、信仰も、何も共有しない、まっさらな地図用の呼称だった。
新高山(Niitakayama) ― 帝国の象徴としての最高峰
1895年、日本の統治が始まる。
近代測量が進むと、この山が富士山より高いことが分かり、
明治天皇によって「新高山」という名が与えられた。
「新しい日本一の山」である。
その後、この名前は帝国の拡張を象徴する語として使われ、
1941年には真珠湾攻撃の暗号
「ニイタカヤマノボレ(一二〇八)」
によって歴史に深く刻まれることになる。
玉山は、この時代に国家の記号として扱われた。
玉山(Yushan) ― 名前は古く、意味は静かに回帰する
戦後、中華民国政府は伝統的な呼称である「玉山」を採用した。
清朝時代の地方誌には、
「雪をかぶると白玉のように輝く」と記されている。
パットンカンが持っていた「光る山」のイメージに、
長い時間を経て再び戻ってきたとも言える。
変わる名前、動き続ける山
パットンカン。
モリソン山。
新高山。
玉山。
名前は、その時代の「所有者」がそこに刻んだタグにすぎない。
意味も、語感も、政治的背景すらも、時とともに移ろっていく。
だが、山そのものは動きを止めてはいない。
3,952メートルの岩塊は、
人間の言語に関心を持つこともなく、
プレートの圧力を受けながら、今も年間わずかに隆起し続けている。
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