―― 食卓の赤い辛味 ――

サンバル(Sambal)を、マレーシアのチリソースと呼ぶ説明を見かける。
その説明は便利だが、誤解も生む。
ケチャップのような添え物として置かれると、役割が縮む。
しかし食堂、特にママック(Mamak)のテーブルでは、サンバルは主役に近い。
ご飯や肉は、サンバルを口に運ぶための媒体として働いているように見える。
赤くて重いペーストが、食事の中心に座っている。
この国は高温多湿である。
食欲が落ちやすい条件が揃っている。
それでも人は働き、動き続ける。
そのための熱源として、サンバルは育ったのだと思うことがある。
辛さは嗜好というより、生存の工夫に近い。

新大陸からの侵略と融合
16世紀以前、マレー諸島に赤い唐辛子(Chili)は存在しなかった。
当時の辛さは、黒胡椒や長胡椒、生姜による黒くて鈍い辛さだった。
その均衡は、大航海時代に崩れた。
ポルトガル人が南米から持ち込んだ唐辛子は、爆発的に広がった。
赤い辛さが、黒い辛さを押しのける。
食卓は短い時間で塗り替えられた。
ただ、彼らは唐辛子をそのまま受け入れたわけではない。
この土地には、すでに別の技術があった。
ブラチャン(Belacan)である。
海産物の発酵ペーストだ。
地域によってはテラシ(Terasi)とも呼ばれる。
土着の発酵の技術と、新来の唐辛子が出会う。
それは混ざるというより、叩き合わされる。
すり鉢(Batu Lesung)で潰され、練られ、ひとつの塊になる。
新大陸の刺激と、東南アジアの旨味が融合する。
その境目に、サンバルが立ち上がった。

腐敗と発酵の境界線
サンバルの中核に、ブラチャン(Belacan)がある。
小エビを塩漬けにし、天日で干し、発酵させて固めたブロックだ。
単体では強烈な腐敗臭を放つ。
近づくと、身構える匂いである。
しかし火を通すと、匂いは別の方向へ変わる。
芳香が立ち上がる。
爆発的なアロマという表現が、誇張ではなくなる。
サンバルはミキサーで作ると味が落ちると言われる。
回転刃は速いが、仕事の質が違うのだと思う。
石臼(Batu Lesung)で叩き潰すと、唐辛子の細胞壁が壊れる。
種子から油分が出る。
そこにブラチャンのアミノ酸が混ざる。
切断ではなく、結合が起きる。
乳化のような状態が生まれる。
機械的な速度だけでは再現しにくい工程に見える。
生と加熱のスペクトル
サンバルは無限にある。
ただ、大きく分けると2つの状態があるように思える。
ひとつは生である。
もうひとつは加熱である。
その間に、幅がある。
まず、生のサンバルがある。
サンバル・ブラチャン(Sambal Belacan)と呼ばれることが多い。
新鮮な唐辛子と、焼いたブラチャンを叩き合わせる。
そこにライム(Limau Kasturi)を加える。
火は通さない。
辛さと酸味が突き抜ける。
食事のアクセントというより、起爆剤に近い。
唾液の分泌が促される。
もうひとつは、加熱サンバルである。
サンバル・トゥミス(Sambal Tumis)だ。
玉ねぎ、唐辛子ペースト、ブラチャンを油で炒め煮にする。
時間をかけて水分を飛ばす。
味は丸くなる。
ここで重要になる状態がある。
ペチャミニャッ(Pecah Minyak)である。
水分が飛び、油が赤く分離して浮いてくる。
その状態まで持っていくことで、保存性が高まる。
ナシレマ(Nasi Lemak)に使われるのは、こちらが多い。
サンバルが駆動させるメニュー
サンバルは単体で食べるものではない。
食材と結合して、はじめて料理になる。
ナシレマ(Nasi Lemak)
ナシレマがある。
ここでサンバルはソースではなく、おかずの筆頭になる。
甘いココナッツライスに対して、塩気と辛気が置かれる。
釣り合いを取る重りのように働く。
米を食べるというより、赤い部分を食べるために米があるように見える。
サンバル・カンクン(Sambal Kangkung)
サンバル・カンクンもある。
空芯菜炒めだが、ただの野菜炒めではなくなる。
ブラチャンのアミノ酸と唐辛子の辛味が、繊維一本一本に絡む。
野菜を食べているのに、肉を食べているような満足感が出る。
味の厚みが、野菜の薄さを消す。
イカンバカール(Ikan Bakar)
イカンバカールもある。
焼き魚である。
エイやアジの表面にサンバルを分厚く塗る。
それをバナナの葉で包んで焼く。
油分が熱で溶け出し、魚の身の中で燻される。
魚を食べるというより、魚の出汁を吸った焼きサンバルを食べる料理になる。
赤い層が主で、魚は土台になる。
ラクサ(Laksa)
そして、ここにラクサも加わる。
スープ麺だが、香りの中心にサンバルがいることが多い。
酸味やココナッツの濃度が先に立つ場合もある。
それでも、最後に舌に残るのは赤い辛さだったりする。
レンゲの中で、油と辛味が膜になる。
麺をすすりながら、その膜を少しずつ破っていく。
ラクサはスープ料理だが、サンバルの扱いとしては液体の中の固体に近い。
ママック(Mamak)への越境
サンバルはマレー系の食卓に置かれるものだが、ママックの店でも同じ赤が出てくる。
境界は店の看板よりも曖昧に見えることがある。
ナシカンダー(Nasi Kandar)では、サンバルは具として扱われる。
カレーの層の中に混ざり、単独で立つというより、辛味の塊として居場所を持つ。
肉や米の上に乗り、味を上書きする。
ロティ(Roti)では、サンバルはブレンド用のソースになる。
ダルやカレーに少しずつ混ぜて、辛さと匂いを調整する。
添え物というより、混ぜて完成させる材料に近い。
マレー系の伝統のサンバルが、インド系のスパイス文化の中に入る。
そこで役割が変わる。
同じ赤でも、置かれる場所が違う。
それでも、食卓にサンバルがあるという一点だけは共通している。
この国では、その一点が意外に強い。


すり鉢の音
マレーシアの家庭の夕方は、音から始まることがある。
トントントンという石臼の音だ。
母親がサンバルを作っている音である。
その音は、台所の奥から一定のリズムで届く。
時代が変わっても、人はこの手作業をやめようとしない。
唐辛子とエビの発酵物を叩き合わせる。
数百年変わらない工程が残っている。
味の核心が、手触りの中にあることを知っているのだろうと思う。
食べ終わった後も、舌の上には赤い熱が残る。
外の湿気は変わらない。
夜はそのまま進んでいく。



