―― 北と南、台湾に伝わる小麦の二つの系譜 ――
点心の店で、小籠包と蒸し餃子が同じ蒸籠に並んでいるのを見ると、
どちらも白い皮に包まれていて、同じ湯気をまとっているせいか、
同じ種類の料理のように思えてしまう。
しかし、その根っこはまったく違う。
台湾を歩いていると、この二つが別々の系譜を持ちながら、
一つの島の上で静かに共存していることに気づく。
発酵か、無発酵か
まず定義を置いておくと、両者の違いは驚くほど明快だ。
包(パオ)は発酵生地。
酵母や老麺を使い、生地そのものが膨らむ。
性質はパンに近く、触ればふわりと沈む。
餃(チャオ)は無発酵生地。
水や熱湯で練り、グルテンの弾力だけで形を保つ。
性質は麺やパスタに近く、噛むと弾力が返ってくる。
小籠包は包の世界に属し、蒸し餃子は餃の世界に属する。
見た目の近さとは裏腹に、製法と食感の思想が根本から違う。
ルーツは北と南
中国大陸での本来の立ち位置を思い出すと、両者の差がさらに際立つ。
北方では米が育たず、小麦が主食だった。
餃(水餃子)は、白米の代用品という位置づけで、
皮が厚く、腹にたまる設計になっている。
南方は稲作地帯で、小麦は主食ではなく嗜好品だった。
点心文化の中で包(小籠包)は発達し、
食事と食事の間に楽しむ「繊細な工芸品」へと変化した。
一方は主食の延長、もう一方は嗜好品。
方向性が初めから違っている。
台湾に押し寄せた「小麦粉の波」
台湾は本来、米文化の島だった。
魯肉飯もビーフンも、米の延長にある。
では、なぜ台湾には粉ものが溢れているのか。
その理由は、1949年にある。
国共内戦の末、国民党とともに北方・江南・各地域から百万人単位の移民が台湾へ渡り、
彼らの家庭料理が眷村(軍人村)を中心として島全体に広がった。
水餃子、刀削麺など、北方の粉食が台湾の食卓に入り込んでいく。
さらに、戦後の食糧難を補うために米国から大量の小麦粉援助があり、
粉料理が日常に定着する下地が整った。
こうして台湾は、南方系の米文化と、北方系の粉文化が
ひとつの島で交錯する場所になった。
台湾での交雑と進化
この島では、包と餃が混ざり合い、独自の進化を遂げている。
小籠包は発酵生地の包に属しながら、
皮を薄くするために「死麺(無発酵生地)」を取り入れたハイブリッドだ。
鼎泰豊のような薄皮は、餃の技術が入り込むことで成立している。
割包は、蒸したパン生地を折り曲げて具を挟む台湾式の包。
胡椒餅は中央アジアのナンの系譜が台湾夜市に定着したもの。
台湾では、包と餃の境界が曖昧になったまま、
両者を同じ生活圏で楽しむ文化が育っている。
台湾は小麦粉の博物館
蒸し籠の湯気の向こうで、包と餃が別々の物語を持ちながら並んでいる。
そのことに気づくと、台湾の粉もの料理は急に整理されて見えてくる。
店の看板にある「包」と「餃」の文字。
その一字だけで、料理の根っこが読める。
この島が持つ複雑な歴史と、粉食の多様性をそっと示している。
歩きながら、台湾とは静かに発酵と無発酵が共存している場所なのだと思う。
それを確かめるために、また蒸し籠の前に立ち寄ってしまう。
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