―― 台湾の日常を支える、知られざる「国民魚」 ――
台湾を散歩していると、「虱目魚(サバヒー)」という文字をやたらと見かける。
看板にも、朝食にも、麵線にも、白湯スープにも──。
しかし、観光で台湾を訪れる人の多くは、この魚が何者なのか、実はよく知らない。
台湾人にとってサバヒーは、特別な名物料理というより、ごく日常的な存在だ。
この魚がなぜ台湾の食文化に深く根を下ろしたのだろうか。
名称と伝説
サバヒーには、台湾らしい言い伝えが残っている。
17世紀、鄭成功(国姓爺)が台南に上陸した際、見慣れぬ魚を指して
「這是什麼魚?(シャーモユイ:これは何の魚だ?)」
と問うたことから「虱目魚(シーユイー)」という名になった──そんな俗説が今も語られている。
英語名は Milkfish(ミルクフィッシュ)。
加熱すると身が乳白色になること、腹身の脂がミルキーで甘いことが由来とされる。
サバヒーは、台湾の食卓を支えてきたことから、
「台湾のナショナル・フィッシュ(国民魚)」
と呼ばれることもある。
サバヒーとは何か
サバヒーは、インド洋〜西太平洋の温暖な海に棲む回遊魚だ。
全身を硬い銀色の鱗で覆い、形は魚雷のように細長い。
・肉質
加熱すると牛乳のように白くなる。
脂は軽く、甘みがあり、穏やかでクセがない。
・食性
草食性(藻類食)。
高価な餌を必要としないため、かつての台湾では、水上の家畜として非常に効率的だった。
・温暖・浅瀬を好む
台南周辺の浅い海と高温環境は、サバヒーの養殖に最適だった。
こうした条件が重なり、台湾では400年以上にわたりサバヒーが養殖され続けている。
2. 台湾におけるサバヒーの位置づけ
サバヒーは特に 台南 の象徴的な食材だ。
台江内海の干拓地には無数の「魚塭(養殖池)」が連なり、朝露の中で漁師が掬い上げたサバヒーが、そのまま朝食の粥やスープになる。
鮮度が命の魚であり、産地の近くで消費される傾向が強いため、台南のサバヒー文化は他地域より濃い。
サバヒー料理の多様性も特徴的だ。
粥、スープ、蒸し物、揚げ物、麵線、魚丸、魚皮──。
強い個性を主張しないため、どんな味付けにも馴染む。
サバヒーの「構造的欠陥」
サバヒーを語るとき、避けて通れない問題がある。
それは、身の中に無数に散らばる 「222本の小骨」 だ。
専門的には「肌間刺」と呼ばれ、
Y字型に分岐したり、深く埋まったりしているため、素人には除去が極めて難しい。
本来なら食用に不向きな構造を持つ魚だが、台湾ではこの欠陥を別の方法で克服してしまった。
人間の技術が解決した「骨のバグ」
台湾の市場には、サバヒーの骨抜き専門職人がいる。
腹身・皮・頭・内臓を素早く分解し、
骨をピンセットのように抜き去る。
その作業はほとんど外科手術に近く、工程自体が一つの技術文化になっている。
流通段階でこの外科手術が完了するため、
台南の食堂に届く頃には 骨のストレスがない状態)になっている。
我々が食べている「サバヒーが美味しい」という印象には、自然の旨味だけでなく、加工技術の蓄積が大きく作用している。
部位ごとに違う世界
サバヒーは、ほぼすべての部位が料理になる。
・魚肚(ハラミ)
最も脂が乗った部位。焼き物・煮物・スープで主役。
・魚皮(皮)
コリッとした薄い脂が魅力。湯引きしてネギと和える。
・魚丸(すり身)
淡泊な身はフィッシュボールにも向く。
・魚腸(内臓)
鮮度が落ちやすく、ほぼ台南の現地でしか食べられない希少品。
・魚骨(ガラ)
白濁するまで煮込むと、朝粥のスープが完成する。
一匹の魚から、生活のあらゆる場面を支える。
それが「国民魚」と呼ばれる所以でもある。
これは、222本の骨に対する“勝利の味”
台南の朝、湯気の向こうに白く輝くサバヒー粥を見るとき、
その背後には、浅瀬を利用した養殖文化、
江戸以前から続く歴史、
そして 222本の小骨という設計ミスを人間の技術がねじ伏せた過程 が隠れている。
サバヒーの優しい味は、
自然の恵みだけで完成したものではなく、
人と魚の長い共生の記録でもある。
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