―― ココナッツオイルという免罪符 ――

2016年、米TIME誌が「10 Healthy International Breakfasts(世界のヘルシーな朝食10選)」を発表した。
トルコの朝食や、日本の「おかゆ」と並んで、マレーシアのナシレマ(Nasi Lemak)が選ばれた。
そのニュースはマレーシアに届いた。
現地の反応はだいたい似ていた。
笑い声が先に出る。
皿の上の心臓発作だぞ。
一番太る朝飯だろ。
そういう言葉が飛び交う。
ただ、欧米では真顔で受け入れられた。
ナシレマは健康的な朝食として紹介され、静かに消費されていった。
ここには認識の断絶がある。
なぜこのギャップが生まれたのか。
その理由は、味そのものより、言葉の扱いにあるように見える。
ココナッツの健康ロンダリング
2010年代以降、欧米では食事の潮目が変わった。
ケトジェニック・ダイエットやパレオダイエットが流行した。
それまで悪者だった脂質が復権する。
その中でココナッツオイルが持ち上げられた。
中鎖脂肪酸、いわゆるMCTが「燃焼しやすい良い油」として神格化された。
脂は太る、という単純な物語が崩れる。
代わりに、良い脂ならむしろ痩せる、という物語が入る。
ココナッツはその中心に置かれた。
TIME誌の記事は、その流れの上に乗っていた。
米の糖質には触れない。
揚げたアンチョビにも触れない。
油まみれのサンバルにも、あまり視線が向かない。
焦点は一つになる。
ココナッツで炊いたご飯。
つまりヘルシー、という結論だ。
事実はトリミングされる。
そしてナシレマは、ロンドンのヒップスターにとって別の料理へ変わる。
罪悪感なく食べられるアジアン・スーパーフード。
そういう肩書きを手に入れる。
サンバルの代謝アップという誤解
ロンドンっ子を引き付けたのはココナッツだけではない。
サンバル(Sambal)もまた、別の意味を与えられている。
欧米の視点では、辛いソースは健康的に見える。
カプサイシンは代謝を上げる。
脂肪燃焼を助ける。
そういうロジックが流通している。
そのため、サンバルは「体に良い刺激」として解釈される。
辛い=ヘルシー。
単純だが強い連想だ。
ただ、実際の構造は違う。
本物のサンバルは、油と砂糖で煮込んだジャムに近い。
赤い色の中に、甘さが潜む。
加熱して水分を飛ばし、油を分離させる。
それがサンバルの完成形になる。
代謝アップというより、保存と旨味のための設計だ。
辛さの奥にあるのは、糖と油である。
それを知っている側から見ると、健康の言葉は少し滑稽に見える。
ただ、その滑稽さが輸出の助けになっている。
アヤムゴレンのプロテイン仮面
もう一つ、ロンドンで都合よく読まれる要素がある。
アヤムゴレン(Ayam Goreng)だ。
欧米では、炭水化物が罪になりやすい。
その罪滅ぼしとして、タンパク質が置かれる。
鶏肉ならヘルシー。
そういう公式がある。
しかし、ナシレマに添えられる鶏肉は、スチームチキンではない。
スパイスに漬け込まれ、カリカリに揚げられた鶏である。
衣は乾いている。
油は香りになる。
噛むと脂が戻ってくる。
プロテインの仮面を被った揚げ物。
そう呼ぶほうが近い。
ただ、そこが良い。
健康のために食べるという建前があっても、
本音では脂の旨さを求めている。
アヤムゴレンは、その両方を同時に満たす。
なぜロンドンっ子は熱狂するのか
ロンドンでナシレマが受け入れられる理由は、健康ブームだけではない。
味覚の親和性もある。
イギリスにはライスプディングの素養がある。
甘い米を食べる文化が、すでにある。
ココナッツの甘い香りは、異物になりにくい。
さらに、旧植民地時代からのカレー文化がある。
辛さに対する耐性もある。
サンバルは未知の暴力ではなく、既知の刺激として入ってくる。
そして現代のロンドンでは、グルテンフリーが強い。
小麦を避けることが、健康の身分証になる。
米料理であるナシレマは、そこで有利になる。
パンケーキやエッグベネディクトよりはマシ。
そういう消去法も働く。
選ばれる理由が、味と健康の両方にまたがる。
15ポンドのナシレマ
クアラルンプールの路地裏では、ナシレマは2リンギットで売られている。
三角に包まれた小さな単位だ。
労働者の朝を回す燃料として置かれている。
それがロンドンでは、皿に盛られる。
ショーディッチやソーホーでは、12〜15ポンドになる。
日本円で2,300〜2,900円ほどだ。
同じ料理が、別の階級のものになる。
ジェントリフィケーションの速度は、皿の上でも起きる。
そこではナシレマは労働者の飯ではない。
週末のブランチを楽しむためのファッションになる。
写真に撮られる前提で盛り付けられる。
ユーストン駅近くのRoti Kingには行列ができる。
白人たちが並んでいる。
汗をかきながら手食(Hand eating)でナシレマを頬張る。
そこにあるのは二つの幸福だ。
健康だから食べるという建前。
脂と糖が旨いから食べるという本音。
この二つが、同じ皿の上で争わずに共存している。
それがロンドンの強さに見える。
ハッピーな誤解
ナシレマがヘルシーかどうかは、実はどうでもいい。
重要なのは、誤った健康イメージがパスポートになったことだ。
そのパスポートがあることで、
東南アジアの傑作は西洋の食卓に並ぶ権利を得た。
堂々と、真顔で、ブランチのメニューに載る。
皿に残った真っ赤な油を見つめる。
これが体に良いわけがない。
そう思う。
だが、旨いから許す。
その判断は万国共通に見える。








