―― 豚なし小籠包という答え ――

KL Sentralに直結したNu Sentralを歩く。
乗り換えの途中のような足取りで、モールの通路を流れていく。
見慣れたロゴがある。
鼎泰豊だ。
白い看板と、整った書体が目に入る。
ただ、よく見ると少し違う。
店名はDIN by Din Tai Fungと書かれている。
同じ顔をしているのに、名刺だけが別物になっている。
入口には、豚肉を使わない旨が示されている。
この街では、それは珍しい注意書きではない。
しかし鼎泰豊でそれを見ると、少しだけ立ち止まる。
鼎泰豊という店
鼎泰豊(Din Tai Fung)は、台湾発祥の点心の店として知られている。
小籠包が中心にある。
それ以外の料理もあるが、注文の軸はだいたい蒸籠に寄る。
店の空気は均一だ。
照明は明るい。
床もテーブルもよく拭かれている。
油の匂いより、清潔さが先に来る。
料理の出方も整っている。
蒸籠は熱いまま届く。
皮の薄さは毎回ほぼ同じに見える。
ひだの数も揃っている。
こういう店は、旅先で安心になる。
味が読める。
値段も読める。
注文の失敗が起きにくい。
だからこそ、同じ看板の下で違うものが出てくると、差が目立つ。
見た目が同じであればあるほど、匂いの欠落が強く残る。
白い嘘と18のひだ
テーブルに運ばれてきたセイロを開ける。
湯気の中から小籠包が現れる。
見た目は、いつもの形をしている。
黄金比と呼ばれる18のひだ。
透き通るような薄い皮。
台北の本店と、ほとんど同じ顔で並ぶ。
しかし鼻を近づけても、あの匂いがしない。
獣の甘い匂い。
ラードの香り。
それが抜けている。
ここはDin Tai Fungではない。
DIN by Din Tai Fungである。
マレーシアのムスリム市場に向けて作られた派生ブランドだ。
豚肉は一切使われない。

小籠包における豚の役割
小籠包のスープは何か。
あれは豚の皮のゼラチン質と背脂が熱で溶け出したものだ。
つまり小籠包の本体は豚そのものである。
豚を使わない小籠包を作る。
それは魚を使わずに寿司を握るような作業に近い。
あるいは小麦を使わずにパンを焼くようなものだ。
定義そのものに触れる。
そういう種類の難題になる。
鶏肉(Ayam)は優秀だが、豚とは違う。
脂の融点も、ゼラチンの粘度も異なる。
そのまま置き換えると、パサつくか、スープが固まらないか。
どちらかに寄りやすい。
鶏肉による再構築
DINの回答は鶏肉への完全移行だった。
豚を抜き、鶏で組み直す。
スープは豚よりもサラリとしている。
色も黄金色に近い。
豚皮の代わりに何を使っているのかは見えない。
鶏足のコラーゲンか。
あるいは植物性の凝固剤か。
断定はできないが、触感は豚のものと違う。
肉餡は淡白になりやすい。
そこでネギや生姜が強めに効かされる。
香りで輪郭を作る方向に見える。
食べると、劣化版という感じはしない。
豚肉特有の重たさと臭みが消える。
小籠包が軽くなる。
これを小籠包と呼ぶべきか、少し迷う。
鶏スープ包みのような別の料理に見える瞬間がある。
これはローカライズというより、別の入口を作る作業に見える。
現地の味に寄せたというより、食べられる条件を広げている。
豚肉を抜けば、食べられる人が増える。
店に入れる人が増える。
小籠包という料理が届く範囲が広がる。
DINは制約への対応であると同時に、拡張のための判断にも見える。
小籠包を世界に広めるための分岐として、鶏肉が選ばれている。

ヒジャブと箸
店内を見渡す。
豚肉のある通常店舗とは景色が違う。
ヒジャブを巻いた女性たちが座っている。
箸を使い、レンゲの上で皮を破っている。
動作が丁寧だ。
厳格なムスリムにとって、中華料理は距離のある世界だった。
点心は特にそうだったはずだ。
憧れはあるが、近づけない。
DINはその壁を薄くする。
中華の美食へ招く外交官のような役割を持つ。
そんなふうに見えることがある。
卓上には醤油と酢、生姜がある。
サンバルはない。
この国の赤い血液は、ここでは置かれない。
台湾の作法だけが残されている。
異文化体験の純度を保つための配置に見える。
2つの鼎泰豊
マレーシアには2つの鼎泰豊が共存している。
豚ありと、豚なしである。
豚ありのDin Tai Fungは、中華系の聖域になる。
ラードの香りが漂う。
いつもの味がある。
豚なしのDINは、新しい広場になる。
マレー系や観光客が入りやすい。
中東の家族連れも座っている。
ショッピングモールの客層に合わせて、どちらを入れるかが決まる。
その計算は厳密に見える。
同じロゴを持ちながら、中身の基本設計が異なる店が並立している。
進化か、妥協か
古くからのファンは言うかもしれない。
豚がなければ小籠包ではない、と。
ただ、この白い蒸し物は、環境に合わせて姿を変えている。
それは進化にも見える。
妥協にも見える。
豚肉という魂を抜かれても、皮とスープの技術だけで成立している。
客は満足しているようにも見える。
鼎泰豊というブランドの基礎体力が、逆説的に示されている。
そう感じて席を立つ。
外の通路には、また人の流れが戻ってくる。





