
台湾の街では、タピオカだけでなく、魚丸や麺、米の食感まで「Q」と書かれている。物性の違う食べ物が、同じアルファベットの一文字で褒められている。
台湾の街を歩いていると、食べ物の横にアルファベットのQが現れる。「很Q」「Q彈」「QQ的」。最初はタピオカのような、もちもちした食べ物を表す言葉に見える。
ところが、台湾で食べ続けていると、その理解ではだんだん足りなくなる。芋圓もQになる。麺もQになる。魚丸や貢丸にも使う。そして、米までQになる。
日本語なら、これらは同じ食感とは呼ばないだろう。
Qとは、いったいなんなんだろう。
Qは英語ではない
まず、このQは英語ではない。もとになったのは台湾語のkhiūという言葉だ。台湾教育部の『臺灣台語常用詞辭典』では「𩚨」と表記され、食べ物が柔らかく、弾力や韌性がある状態と説明されている。
強調したkhiū-teh-tehになると、柔らかいだけでなく「嚼勁」、つまり噛みごたえが十分にある、という意味になる。現在は、この音に近いアルファベットのQが広く使われている。
いつ、誰が最初にQと書いたのかははっきりしない。それでも重要なのは、Qという文字が登場するより前から、この食感をわざわざ一つの言葉で表していたことだ。
珍珠奶茶がQを発明したわけではない。Qという文字は新しくても、Qという感覚はもっと古い。
Qは弾力だけではない
辞書だけを見ると、Qは「弾力がある」と訳せそうに思える。ところが、実際の使われ方を見ると、それほど簡単ではない。
珍珠や芋圓なら、もちもちした弾力という説明でかなり理解できる。魚丸や貢丸にも「Q彈」が使われるが、こちらは歯を入れたときに跳ね返してくるような感触だ。麺なら、日本語でいう「コシがある」に近い場合もある。
さらに台湾では、米の食感にもQが使われる。桃園市政府農業局は、桃園3号という米の特徴を「嚼勁Q度」と説明している。米にもQ度がある。
珍珠の粘り、魚丸の反発、麺のコシ、米粒の噛みごたえは、食品科学的には同じ物性ではない。それでも台湾では、すべてQという言葉の中に入ってくる。
どうやらQは、一つの物理的な状態を正確に指す言葉ではない。柔らかいだけでもない。硬いだけでもない。
噛んだときに食べ物から返ってくる、何か心地よい反応。ひとまず、そんな言葉として考えた方が近そうだ。
台湾人は、本当にQが好きなのか
そう考えると、次に「台湾人はよほどQが好きなのだろう」と言いたくなる。ただ、ここは少し立ち止まった方がいい。
弾力のある食べ物は台湾にしかないわけではない。日本には餅や蒲鉾、うどんがある。韓国には餅や冷麺がある。中国各地にも麺や魚丸がある。台湾人が日本人や韓国人より、弾力のある食感を強く好むことを示した比較研究も見当たらない。
つまり、不思議なのは台湾にQな食べ物が存在することではないのかもしれない。むしろ目につくのは、食感がQという強い評価語になって、料理の表面に出ていることだ。
甘い、辛い、香ばしい。それらと同じように「Q」が商品の長所として書かれている。
では、なぜ台湾では食感がこれほど目立つのだろう。
おいしさの中で、食感はどこにあるのか
食べ物のおいしさは、味だけで決まるわけではない。味覚と香りがあり、温度や刺激があり、そして食感がある。同じ味付けでも、硬さや粘りが変われば、食べた印象はかなり変わる。
食品のテクスチャー研究でも、味の強度が食感への意識に影響することは古くから指摘されている。米は分かりやすい。味そのものは極端に変化しなくても、硬さや粘りの違いは「おいしい米」の評価を大きく左右する。
ここから先は仮説になる。台湾料理には「清淡」や「原味」と表現される、素材の味を強く上書きしない料理の系譜がある。
もちろん、台湾料理がすべて薄味という意味ではない。魯肉飯も滷味も三杯料理もある。それでも、素材そのものの味を残すことが一つの価値になってきたことは、台湾料理の特徴として繰り返し語られている。
味を大きく動かさない料理では、そのぶん口の中の物理的な違いがよく見えるのではないか。淡いスープに浮かぶ魚丸なら、調味料の違いよりも、歯を入れた瞬間にふにゃりと崩れるか、こちらを押し返してくるかで印象が大きく変わる。
麺も、米もそうだ。台湾で食感が大きな評価軸になった背景には、そんな料理のあり方も関係しているのかもしれない。
台湾だけの話ではない
ただ、この話を台湾だけで終わらせると、また別の問題が出てくる。日本人も食感にはかなりうるさい。
農研機構が整理した現代日本語のテクスチャー用語は445語にのぼる。しかも、特に粘りや弾力を表す言葉が豊富だという。もちもちと、ぷりぷりは違う。こりこりと、しこしこも違う。しゃきしゃきやねっとりのような言葉もあり、日本語は口の中で起きる小さな違いに次々と名前をつけている。
日本料理にも、素材や出汁を生かし、味を強く上書きしない料理の系譜がある。だからといって「薄味の文化では食感語が増える」という法則が証明されているわけではない。
それでも、日本を横に置くと少なくとも一つのことが分かる。食感を細かく気にすること自体は、台湾だけの特殊な習慣ではない。
では、日本と台湾は何が違うのだろう。
日本は分ける。台湾はまとめる
日本語は、食感を細かく分ける。一方、台湾語のQは、かなり広い範囲を一つの言葉で覆う。珍珠を食べて感じるものと、魚丸を噛んで感じるものは違う。それでも、どちらもQと呼べる。
これは、日本人の方が食感を細かく感じ、台湾人の方が大雑把に感じている、という話ではないだろう。人間が感じる食感は連続している。その連続した感覚のどこに境界を引き、どんな名前を与えるかは言語によって違う。
日本語は、その空間を細かく切り分けた。台湾語は、その中の「弾む」「粘る」「押し返す」といった領域を、かなり大きくQという言葉で括った。
そう考えると、Qは食感そのものではないのかもしれない。いろいろな物性の中から、台湾語が切り取った「良い食感」のカテゴリー。その方が実際の使われ方には近い。
Qは測れないのに、「Q度」は測れる
そして面白いのは、ここからだ。Qは科学的には曖昧な言葉だ。珍珠と魚丸と米で、同じ物性を測っているわけではない。ところが台湾では、Qがまるで測定できる性能のように扱われる。
米には「Q度」があり、台湾森永のHI-CHEWの商品説明には「全新2倍Q感」「Q彈升級2倍」と書かれている。
何が2倍になったのかを、食品科学的に一つの数字で説明するのは難しい。それでも広告としては意味が通じる。
Qが高い。 もっとQ。 Qが足りない。 2倍Q。
物理的には曖昧な概念なのに、文化の中ではかなり明確な物差しとして機能している。Qは単に食感を説明する言葉ではなく、食べ物を評価する言葉になっている。
言葉が、食感を大きくしたのかもしれない
言葉には、不思議なところがある。名前がなければ、「なんとなくこっちの方が食感がいい」で終わる。でもQという言葉があれば、「こっちの方がQだ」と言える。
店を比較できる。商品を褒められる。逆に「不Q」と欠点を指摘することもできる。メーカーは「Q彈」を商品の特徴として書き、「2倍Q感」と改良を宣伝できる。
Qという言葉が台湾人をQ好きにした、とまで言うことはできない。ただ、もともと口の中にあった感覚に短い名前がつき、それを誰もが共有できるようになると、その感覚は以前より見えやすくなる。
見えるようになれば、比較される。比較されれば、商品としても意識される。
食感を表すために生まれた言葉が、いつの間にか食感そのものを大きな価値へ押し上げていった。そんな循環はあったのかもしれない。
すべてがQになる
最初の疑問に戻る。Qは弾力、と訳すだけでは少し足りない。もちもちでもない。ぷりぷりでもない。コシでもない。台湾人だけが感じる特殊な食感でもなさそうだ。
むしろQとは、さまざまな食べ物の中にある「噛んで心地よい反応」を、台湾語が一つの価値として括った言葉なのかもしれない。そして一度その名前がつくと、今度は食べ物の方がQという物差しで見えるようになる。
台湾の食堂で魚丸を噛む。歯を入れると、少し押し返してくる。日本語なら、その感触をどう呼ぶか少し迷う。
台湾なら簡単だ。
Qだ。




