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マレーシアのママックについての記録

ショッピングモールが閉まり、バーがラストオーダーを終えても、街の端が暗くならない。
蛍光灯の光が、道路沿いに点々と残る。

その光の下に、ママック(Mamak)がある。

プラスチックの椅子。
ステンレスのテーブル。
頭上を照らす白い蛍光灯。
床には、濡れた靴跡と油の膜が残る。

高層ビルの街にいるのに、ここだけは屋外のままだ。
空気が逃げない。
熱が残る。
それでも人が座っている。

フェラーリで乗り付けるような身なりの人も、仕事終わりのバイク便の人も、同じ椅子に腰を下ろす。
テーブルの高さも、椅子の硬さも変わらない。
この国の階層が消えるというより、ここではそれが一旦保留されているように見える。

ママックは食堂だが、それだけではない。
マレーシアという多民族国家の、屋外に置かれたリビングルームのように機能している。


ママックという言葉

ママックとは、料理名ではない。
店の形式の名前でもあるが、元々は人を指す言葉だ。

語源はタミル語で、叔父(母方の兄弟)を意味する「mama」に由来すると言われる。
親戚の家にいるような、距離の近い呼び名だったらしい。

マレーシアではこの言葉が、インド系ムスリム(タミル・ムスリム)を指す呼称として定着し、さらに彼らが営む食堂そのものを指すようになった。

マレー料理でもない。
インド料理でもない。
中華でもない。

だが、どれか一つに分類できないまま、街の生活の中心に入り込んでいる。
それがママックだ。


スパイスと信仰を携えて

ママックの背景には移動がある。

南インドからマラッカ海峡へ渡ってきた商人や労働者。
港の仕事。
都市の建設。
物流の拠点。

彼らはイスラム教徒でありながら、南インドの食文化を持っていた。
ハラルであり、スパイシーであり、そして安い。

当初は港湾エリアの行商や、道端の小さな屋台から始まったと言われる。
天秤棒で運ばれた米とカレー。
早く、腹にたまり、汗をかく身体を動かすための燃料。

ナシカンダーの起源と重なる部分がある。
どちらもレストランから生まれた料理ではない。
働く人の時間と体力を支えるための、生活の装置だった。

ママックは、その装置が屋台から店舗へ移り、さらに24時間の都市に適応した形のひとつに見える。


店員を呼ぶ共通語

ママックの店内には、言語が混ざっている。

英語。
マレー語。
タミル語。
広東語。
時々、アラビア語の宗教的な単語。

だが、客が店員を呼ぶときに使う言葉は、驚くほど単純だ。

Boss。

あるいは、Ane(アネ)。
店によっては、Bang(バン)とも聞こえる。

客は店員をボスと呼ぶ。
店員も客をボスと呼ぶ。
ここでは誰もがボスであり、誰もが兄弟だ。

この呼び方は、丁寧というより便利に見える。
名前を知らなくても成立する。
人種や年齢を間違えても角が立ちにくい。

そして、店の空気が少しだけ柔らかくなる。
ママックの平等さは、制度ではなく、こういう短い言葉の運用で支えられている。


ママックのお品書き

ママックのメニューは多い。

ナシゴレンもある。
ミーゴレンもある。
ナシカンダーが置かれていることもある。
サテや、揚げ物や、甘い菓子も並ぶ。

だが、何を食べるか迷ったとき、最小単位として強いのは決まっている。
ロティとカレーだ。

料理の種類が増えても、ここだけは崩れない。
ママックの基礎体力は、この組み合わせにあるように見える。

ロティ・チャナイ(Roti Canai)

小麦粉の生地を薄く伸ばし、折り、油で層を作る。
鉄板の上で焼くと、表面が乾き、内部に空気が残る。

皿に乗ってくるのは、整ったパンではない。
折り目があり、裂け目があり、油が染みている。
手でちぎると、層がほどける。

それをカレーにつける。
ちぎって、浸して、口に入れる。
スプーンがなくても成立する。

料理というより、手の動きに近い。
夜が長い国では、こういう食べ方が残りやすい。
食事が儀式になると、続かない。
ママックは続くための形式だ。

カレーは、主役ではなく接着剤のように働く。
ロティをまとめ、味を乗せ、飲み込ませる。
スパイスは強いが、目的は刺激というより継続にあるように見える。

マギーゴレン(Maggi Goreng)

深夜のママックで、もう一つよく見かけるものがある。

インスタントラーメンの「Maggi」を炒めた麺だ。
卵を落とし、野菜を混ぜ、濃いソースでまとめる。

見た目はジャンクだ。
健康的ではない。
だが、夜中の二時に食べると、妙に正しい場所に収まる。

ママックは、昼の食堂というより夜の避難所に近い。
帰宅する前の中間地点。
誰かと会話するための場所。
あるいは、一人で時間を潰すための場所。

その時間帯に、丁寧な料理は求められていない。
むしろ、雑さが安心になる。

マギーゴレンは、その雑さを最初から引き受けた料理だ。
短い時間で出てきて、短い時間で腹にたまる。
深夜の背徳は、ここでは日常の部品になっている。

ナシカンダー(Nasi Kandar)

ママックの店によっては、ナシカンダーが置かれていることがある。
ガラスケースの中に、茶色い煮込みと揚げ物が積み上がる。

白いご飯の上に、惣菜を乗せる。
最後にカレーをかける。
どのカレーかは重要ではない。
混ざることが前提になっている。

一見すると雑然としている。
だが、混沌が偶然ではなく、作法として管理されているようにも見える。
皿の上で境界線が消えることが、この料理の完成形になっている。

ロティが手の食べ物だとしたら、ナシカンダーは皿の食べ物だ。
同じママックの光の下で、別の満腹の作り方が並んでいる。


テ・タリが回っている理由

ママックのテーブルには、たいてい甘い飲み物がある。
代表がテ・タリ(Teh Tarik)だ。

紅茶に練乳を入れ、泡が立つまで引いて混ぜる。
透明なグラスに注がれた茶色い液体。
表面に、薄い泡の層が残る。

甘いが、妙に重くない。
熱帯の夜でも、これが飲まれている。

この飲み物は嗜好品というより燃料に近い。
暑さで体力が削られ、汗で塩分が抜ける。
糖分とカフェインが必要になる。

ママックが眠らない理由の一部は、テ・タリが眠らせないからでもある。
ロティで油を入れ、テ・タリで糖を入れる。
それだけで夜が延長される。


サッカーと雨宿りの装置

ママックには欠かせない設備がある。
巨大なスクリーンだ。

プレミアリーグの試合がある夜、ママックはスタジアムに変わる。
贔屓のチームが点を取れば、知らない客同士が声を出す。
拍手が起きる。
一瞬だけ、隣のテーブルが近くなる。

また、突然のスコールが降れば、バイク乗りたちが雨宿りに駆け込んでくる。
ヘルメットを机の上に置き、濡れたシャツのまま座る。
テ・タリを頼み、雨が弱まるのを待つ。

情報を交換し、雨が止むのを待ち、腹を満たす。
かつての井戸端の機能が、そのまま都市の食堂にスライドしている。

ママックの強さは、料理の完成度ではない。
人が集まる理由を複数持っていることだ。
食事。
会話。
テレビ。
雨宿り。
夜更かし。

どれか一つが目的でも、ここに座れる。


明かりは消えない

マレーシアが発展し、高層ビルが増えても、ママックはなくならない。

エアコンの効いたカフェでは、この湿った熱気と雑多な安心感は再現できない。
椅子は硬く、机は冷たく、照明は白い。
それでも人が集まるのは、ここが便利だからだ。

夜風に吹かれながら、プラスチックの椅子に身を預ける。
遠くで誰かが「Boss」と呼ぶ声が聞こえる。

その声を聞いていると、異邦人であるこちらも、少しだけこの国の輪に入れてもらえたような気がする。
ただ、それは歓迎というより、同じ空間に置かれたという程度のことだ。

ママックはそういう場所として、今日も光っている。


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