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ナシカンダーという文化についての記録

ナシカンダーという名前は、その出自を正確に語っている。

Nasi はご飯。
Kandar は天秤棒で担ぐ、という意味だ。

19世紀、ペナン島の港湾エリア。
インド系ムスリム(ママック)の行商人たちは、天秤棒の両端に鍋を下げ、労働者のもとへ食事を運んだ。
白米とカレー。早く、腹にたまり、汗をかく身体を動かすための燃料。

この始まりは、台湾の担仔麺とよく似ている。
どちらも、レストランから生まれた料理ではない。
働く人の時間と体力を支えるための、移動式ファストフードだった。

皿の上で完成する味

ナシカンダーは、最初からは完成していない。

白米(ナシプティ)やビリヤニの上に、
鶏、肉、魚、野菜を好きなだけ盛る。
そして最後に、店員が複数のカレーソースを柄杓でかける。

赤、黄、黒。
チキンカレー、ダール、魚のカレー。

重要なのは、どのカレーを選んだかではない
それらが皿の上で混ざり合った結果生まれる
Kuah Campur(混合ソース)こそが、ナシカンダーの正体だ。

一見すると雑然としている。
むしろ、きれいに盛ろうという意思は最初からない。
だが、その混沌は計算されている。
汁だくであることが、正解なのだ。

注文の作法

ナシカンダーは、口頭で長く説明する料理ではない。
すべては指差しと一言で進む。

Step 1:ベースを選ぶ
白米か、ビリヤニ。
初めてなら白米でいい。

Step 2:おかず(Lauk)を選ぶ
茶色い鍋が並ぶカウンターから、指で示す。

定番はアヤムゴレン。
赤く染まったスパイス揚げ鶏は、ほぼ必須だ。

注意が必要なのは、イカ(ソトン)やエビ(ウダン)。
これらは時価で、値段が一気に跳ね上がることがある。
初心者が最初に踏みがちな罠だ。

野菜はキャベツ炒め(クビス)か、オクラ(ベンディ)。
油とスパイスの海に、少しだけ浮かぶ救命具。

Step 3:洪水
ここが核心だ。

「クア・チャンプル」
あるいは
「バンジール」

そう伝えると、店員は躊躇なくソースを注ぐ。
赤、黄、黒が次々と重なり、白米は完全に姿を消す。
洪水が起きて、ようやく皿は完成する。

目視による瞬時の演算

ナシカンダーの会計に、レジは不要だ。

食後、あるいは受け取った直後。
会計係(アネ)は皿を一瞥する。
数秒もかからない。

鶏、野菜、ソース。
すべてを見て、即座に金額が提示される。

レシートはない。
明細もない。
あるのは、彼らの頭の中にある相場と記憶だけだ。

金額が決まると、
色付きの札や、小さな紙切れを渡される。
それが支払いの証明になる。

混ざることで生まれるアイデンティティ

ナシカンダーは、整理された料理ではない。

辛さ、甘さ、酸味、苦味。
異なるスパイスが、皿の上で一つになる。

それは、多民族国家マレーシアの縮図にも見える。
単一の味では成立しない。
混ざることで、ようやく輪郭を持つ。

汗をかきながら、
スプーンとフォークで洪水をかきこむ。

その時、食べているのはカレーライスではない。
南洋の労働と歴史が、そのまま皿に残ったものだ。


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