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マレーシアのナシカンダーについての記録

KLの街で食事を探していると、
ときどき強い匂いにぶつかる。

油の匂い。
スパイスの焦げた匂い。
甘さと辛さが混ざった、重たい匂い。

その匂いの中心に、ナシカンダーがあることが多い。
料理としての輪郭は単純だ。ご飯にカレーをかけたもの。
だが、実際に皿の前に立つと、もう少し複雑なものに見えてくる。

ナシカンダーは、整った料理ではない。
むしろ、整えることを最初から放棄した料理に見える。
それでも、どこかで成立している。
混沌が偶然ではなく、作法として管理されているように見える。


名前の履歴書

ナシカンダー(Nasi Kandar)という名前は、出自をそのまま残している。

Nasi はご飯。
Kandar は天秤棒で担ぐ、という意味だ。

19世紀、ペナン島の港湾エリア。
インド系ムスリム(ママック)の行商人たちは、天秤棒の両端に鍋を下げ、労働者のもとへ食事を運んだ。

白米とカレー。
早く、腹にたまり、汗をかく身体を動かすための燃料。

始まりは台湾の担仔麺と似ている。
どちらも、レストランから生まれた料理ではない。
働く人の時間と体力を支えるための、移動式のファストフードだった。

ただ、今のナシカンダーは、天秤棒ではなく「ステンレスの山」として存在している。


茶色い山脈

ナシカンダーの店に入ると、最初に視覚が圧倒される。

ガラスケースの中に積み上げられた、大量の料理。
赤黒い羊肉。
真っ黒な牛肉。
黄色いダール。
そして山盛りの揚げ鶏。

全体としては、茶色い。

明るい色は少ない。
野菜があっても、油とソースの膜で色が沈む。
見た目は整理されていないが、食欲だけは正確に刺激してくる。

注文は、この山脈の前で行われる。
指差しが基本になる。

言葉が不要というより、言葉が追いつかない。
何が何だか分からないまま、鍋の中身だけが積み上がっている。
客はその前で、自分の皿を作っていく。


主役になりやすい鶏

この山の中で、多くの人が手を伸ばす定番がある。

アヤムゴレン・ブルンパ(Ayam Goreng Berempah)。
直訳すれば、スパイス揚げ鶏だ。

日本の唐揚げのように衣が主役ではない。
肉の表面に、粗挽きのスパイスが貼り付いている。
レモングラス、生姜、フェンネル。
細かい繊維が、揚げた油で固まり、鎧のようになっている。

噛むと、少しジャリッとする。
その感触のあとに、香りが広がる。
辛さだけではなく、香りの厚みがある。

これがあると、皿の中心が決まる。
他のおかずが曖昧でも、鶏が一つあるだけで、食事が成立してしまう。


皿の上で完成する味

ナシカンダーは、最初から完成していない。

白米(ナシプティ)やビリヤニの上に、
鶏、肉、魚、野菜を好きなだけ盛る。
そして最後に、店員が複数のカレーソースを柄杓でかける。

重要なのは、どのカレーを選んだかではない。
それらが皿の上で混ざり合った結果生まれる、
クア・チャンプル(Kuah Campur)こそが、ナシカンダーの正体に近い。

一見すると雑然としている。
むしろ、きれいに盛ろうという意思は最初からない。
だが、その混沌は計算されているようにも見える。
汁だくであることが、正解になっている。

ソースには色がある。

黒。
赤。
黄。

黒は、甘みとコクが強い。醤油のような方向に寄る。
赤は、唐辛子の刺激が出る。
黄は、豆のやさしさがある。辛さを丸める。

それぞれ単体では、少し偏る。
だが、混ざると角が消え、濃さだけが残る。
皿の上で境界線が消えることが、この料理の完成形になっている。


注文の作法

ナシカンダーは、口頭で長く説明する料理ではない。
すべては指差しと一言で進む。

まずベースを選ぶ。
白米か、ビリヤニ。
初めてなら白米でいい。

次におかずを選ぶ。
茶色い鍋が並ぶカウンターから、指で示す。

定番はアヤムゴレン。
赤く染まったスパイス揚げ鶏は、ほぼ必須だ。

野菜はキャベツ炒め(クビス)か、オクラ(ベンディ)。
油とスパイスの海に、少しだけ浮かぶ救命具になる。

そして最後に、短い言葉を置く。

クア・チャンプル。
あるいは、バンジル(Banjir)。

クアは、カレーや煮汁のソースのことを指す。
チャンプルは、混ぜるという意味だ。
つまりクア・チャンプルは、
一種類ではなく、いくつかのソースを混ぜてかける、という合図になる。

バンジルは洪水の意味だ。
こちらはもっと直接的で、
ご飯を沈めるくらい、たっぷりかけてほしいというニュアンスになる。

店員は数種類のカレーをまとめてすくい、
皿の上へ落とす。
茶色い海ができる。

洪水が起きて、ようやく皿は完成する。


テ・タリという相棒

ナシカンダーの皿は、重い。
油と塩気とスパイスが、いくつも重なっている。

その横に、甘い飲み物が置かれることが多い。
テ・タリ。泡のあるミルクティーだ。

冷たい水で流すと、皿の余韻が途切れる。
テ・タリは途切れさせない。
甘さで辛さを丸め、乳で角を取る。

飲み物というより、調味料に近い役割をしている。
スプーンで一口食べて、グラスで一口飲む。
その往復が、食事のリズムになる。

ママックの店では、テ・タリは主役ではない。
だが、いないと皿が落ち着かない。
ナシカンダーの洪水の隣で、泡だけが静かに立っている。


時価という落とし穴

ナシカンダーは庶民の味として語られる。
だが、皿の上には例外もある。

イカ(ソトン)。
エビ(ウダン)。

ショーケースの中で輝いているが、これらは時価になりやすい。
指差した瞬間、会計が跳ね上がることがある。

見た目は同じ皿だ。
茶色い洪水の中に沈めば、価値の差は見えなくなる。
それでも、値段だけは正直に反映される。

初心者が最初に踏む罠は、ここにある。
ナシカンダーが「安い料理」だと思っているほど、落差が大きい。


目視による瞬時の演算

ナシカンダーの会計には、レジが不要な場面がある。

食後、あるいは受け取った直後。
会計係(アネ)は皿を一瞥する。
数秒もかからない。

鶏。
野菜。
ソース。
イカはあるか。
卵はあるか。

すべてを見て、即座に金額が提示される。
レシートはない。
明細もない。
あるのは、彼らの頭の中にある相場と記憶だけだ。

金額が決まると、
色付きの札や、小さな紙切れを渡される。
それが支払いの証明になる。

この仕組みは不思議だが、同時に自然にも見える。
港湾労働者の飯だった頃の名残が、そのまま残っているようにも感じる。


混ざることで生まれる輪郭

ナシカンダーは、整理された料理ではない。

辛さ。
甘さ。
酸味。
苦味。

異なるスパイスが、皿の上で一つになる。
単一の味では成立しない。
混ざることで、ようやく輪郭を持つ。

それは、多民族国家マレーシアの縮図のようにも見える。
マレー、インド、中華。
そして植民地時代の影。
どれか一つだけでは、この皿は成立しない。

汗をかきながら、
スプーンとフォークで洪水をかきこむ。

その時、食べているのはカレーライスではない。
南洋の労働と歴史が、そのまま皿に残ったものだ。

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