―― 朝は選択肢が多すぎる ――
まだ日が高くなる前の高雄・塩埕区を歩く。
港に近いこの一帯は、朝の立ち上がりが早い。市場に向かう人、仕事前に何か腹に入れようとする人、バイクのエンジン音。
通りに面した開放的な朝食屋がある。壁はなく、屋根と鉄板とカウンターだけ。
奥に座席はあるが、基本は外帯前提の作りだ。
朝食を取りに来た、というより、
朝の流れに合流しに来た、という感覚に近い。
注文の流れを把握する
ここで交わされる会話は、驚くほど短い。
必要なのは、だいたいこの順番だ。
- 内用か外帯か
- 豆乳をどうするか(熱/冰、全糖/半糖/無糖)
- 料理を1〜2品
メニューは多いが、構造は単純だ。
迷っているように見える人も、実はこの枠から外れていない。

まず豆乳メニューを見る
カウンターの横に、豆乳系のメニューが並んでいる。
朝食屋の豆乳は飲み物というより、朝の出発点だ。
冰豆漿
甘さと冷たさで、頭を一気に起こす朝用の豆乳。

熱豆漿
湯気と一緒に飲む、いちばん素直な形。
→ 台湾の豆乳文化(一覧)|バリエーションとよき相棒たち
鹹豆漿
固まりかけた豆乳を「料理」として食べる一杯。

紅茶豆乳
甘さで一日の方向性を決めにいく飲み物。
→ 紅茶豆乳という朝の魔力|甘さに抗えない台湾の習慣
米漿(ミージャン)
豆乳よりも粘度が高く、腹持ちを重視した選択。
→ 台湾の米漿とは何か|豆乳と並ぶ朝の主役
甘さも指定する。
全糖、半糖、無糖。
言葉にすると大げさだが、実際はほぼ反射的だ。
次に料理メニューを見る
鉄板の前に立つと、粉ものが一気に視界に入る。
後ろの壁にメニューが貼られている。
蛋餅
朝食屋の基準線。迷ったときの逃げ場。

燒餅
小麦の層を噛みしめる朝。

蔥抓餅
油とネギの香りで押してくる。
→ 台湾の蔥抓餅|剥がして食べる朝食
饅頭・包子
最も静かな炭水化物。
→ 台湾の饅頭と包子|朝に選ばれる理由
小籠包
朝用に最適化された、軽い蒸し物。

大根餅
焼き色がすべてを決める白い直方体。

飯糰(ファントゥアン)
台湾おにぎり。持って歩くための完成形。

三明治・漢堡
台湾的に再解釈された西洋。

油條
すべてを受け止める揚げパン。

店内を見渡すと
注文を待つあいだ、自然と視線が店内を巡る。
この朝食屋には、装飾らしいものがほとんどない。
壁に貼られた色あせたメニュー、油の跡が残る鉄板、積み上げられた紙コップ。
扇風機が回り、紙ナプキンがわずかに揺れる。
席の配置も大らかだ。
相席が前提で、誰もそれを気にしていない。
会話は少なく、音だけがある。
鉄板の焼ける音、油條を割る音、豆乳を注ぐ音。
隣の席では、鹹豆漿に油條を浸す人がいる。
油條の端を少しずつ沈め、豆乳が染みたところで口に運ぶ。
手慣れた動きで、無駄がない。
奥のテーブルでは、燒餅に油條を挟んだ一組。
炭水化物が炭水化物を包む構造だが、ためらいはない。
朝はこれでいい、という判断がはっきりしている。

別の人は、飯糰と冰豆漿。
片手で持てる構成。
食べ終わったら、そのまま外へ出ていく前提の組み合わせだ。
誰も「正解」を探していない。
それぞれが、慣れた順番で、慣れた構成を再生しているだけに見える。
迷って、結局いつものに戻る
自分の番が近づくと、少しだけ考える。
今日は熱豆漿でもいいかもしれない。
鹹豆漿に油條、という選択肢も頭をよぎる。
だが、カウンターの前に立つと、思考は急に短くなる。
選択肢が多いはずなのに、
実際に口から出るのは、だいたい決まっている。
半糖の冰豆漿。
そして蛋餅。
指を伸ばして示す。
言葉は最小限だ。
おばちゃんは一度こちらを見て、何も言わずに鉄板へ戻る。
通じたかどうかは、完成品が出てくるまで分からない。
考えてみれば、
毎回「今日は違うものにしよう」と思っている気がする。
それでも、最終的には同じものを頼んでいる。
朝食屋では、
迷うこと自体が、もう日課なのかもしれない。

受け取って、座る
番号を呼ばれ、紙コップと紙袋を受け取る。
豆乳は紙コップ。
蛋餅は紙に包まれている。
内用だが、外帯とほとんど区別はない。
空いている席に腰を下ろす。
視界の先には、通りを流れるバイクの群れ。
信号が変わるたびに、音の層が入れ替わる。
まず豆乳を一口。
……甘い。
想像していた半糖より、明らかに甘い。
これ、全糖じゃないか。
一瞬そう思うが、
そのままもう一口飲む。
冷たくて、甘くて、頭がはっきりする。
まあ、いいか。
そういう日もある。
蛋餅をかじる。
卵と生地の、いつもの味。
特別ではないが、外れでもない。
紙をたたみ、最後の一口を飲み干す頃、
また新しい客がカウンターに立っている。
朝食屋の流れは止まらない。
席を立つと、
さっきまでいた場所は、もう別の人の朝になっていた。
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