―― 日常すぎて名前になれなかった食材 ――
夜の台北で牛肉麺をすすっていて、ふと疑問に引っかかった。
台湾には「牛肉麺」があるのに、「豚肉麺」という看板はほとんど見かけない。
豚は身近で、価格も安く、台湾の食卓では主役のはずなのに。
なぜだろう。
しばらく考えてみると、これは単に料理の問題ではなく、
「名前になる食材」と「名前になれない食材」の話なのだと思えてくる。
豚は当たり前すぎて、名前になれない
台湾における豚肉は、あまりに日常的だ。
魯肉飯、排骨飯、担仔麺、乾拌麺、控肉飯、肉燥麺。
街の麺屋のほとんどが、何らかの形で豚肉を使っている。
言い換えると、豚肉は「ベースの味」になってしまった。
マーケティングでいえば、カテゴリの土台に吸収されている状態だ。
だから「豚肉麺」と名付けても、
何の情報も追加されない。
インパクトがない。
差別化ができない。
それ、全部の麺屋がやってるよねで終わってしまう。
名前とは本来、違いを伝えるための道具だ。
豚肉は便利すぎて汎用的になり、
逆に「名前になる資格」を失ったのだと思う。
牛肉は、歴史的に「特別な存在」だった
対して、牛肉は長い間「特別な食材」だった。
台湾南部では農耕用の牛を食べることはタブー視され、
牛肉が広く食べられるようになったのは比較的近代になってからだ。
だからこそ、牛肉は珍しかった。
希少性があった。
そして、珍しいものには名前が付く。ブランドが生まれる。
牛肉麺は、その特別感を看板として押し出せる料理だった。
他の麺とは違う 牛肉入りを強く宣言できた。
豚では到達できない、
「名乗った瞬間に差別化できる領域」が、牛にはあった。
唐突に現れた牛肉麺ブランドの強さ
もうひとつ大きいのは、1949 年以降の外省人文化だ。
中国・四川系の辛さと清燉(透明スープ)が混ざり、
戦後台湾の都市部で急速にブランド化した。
牛肉麺は、味だけでなく、ストーリーを持った料理として広がった。
軍人、外省人街、夜市、24 時間営業。
「物語」を背負える料理は、強い。
一方、豚肉は物語を持たない。
便利で美味しいが、人生を背負っていない。
日常に溶けすぎている。
ブランドは、日常の外側から来る。
牛肉麺が看板になり、豚肉麺が看板になれなかった理由は、
ここにもある。
名前にならなかったという凄さ
こうして見ていくと、豚肉麺が存在しない理由は単純だ。
豚肉が優秀すぎたからだ。
あまりに多くの料理に使われ、
日常の中心に入り込みすぎて、
専用の名前が不要になった。
マーケティング的にいえば、
豚肉はコモディティ化しすぎた。牛肉はブランド化した。
それだけのことなのだと思う。
ただ、街角の麺屋で、醤油と豚脂の匂いに包まれているとき、
「名前が残らなかった」という事実が、
逆に豚肉の豊かさを証明しているようにも感じる。
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