―― 具なき「タレそば」の美学 ――
台湾の食堂で伝票を手にすると、少し戸惑う瞬間がある。
牛肉麺、麻醤麺、炸醤麺。どれも味が想像できる名前だ。
その中に、ただ二文字だけで書かれた項目がある。
乾麺。
味の説明はない。
具の説明もない。
これにチェックを入れると、一体何が出てくるのか。
正体は拍子抜けするほど単純だ。
具がほとんどない、ラードと醤油ダレで和えるだけの汁なし麺。
日本で言えば、かけうどんの汁を抜いたような存在。
店の腕前が、そのまま露出するメニューでもある。
三層構造のミステリー
運ばれてきた丼を見て、日本人は少しがっかりするかもしれない。
白い麺しか見えないからだ。
だが、乾麺は三層構造になっている。
上には、申し訳程度のトッピング。
茹でたモヤシやニラ。
運が良ければ、薄切りの茹で豚が一、二枚。
真ん中には麺。
陽春麺と同系統の、中太で平たい白麺が多い。
茹でたてで、まだ何の主張もしていない。
そして本体は、丼の底にある。
見えない場所に、濃い茶色の液体が溜まっている。
ラード。
醤油膏。
油葱。
少量のうま味調味料。
これが乾麺の正体だ。
30秒以内に天地返しせよ
乾麺には、作法がある。
上から静かに食べてはいけない。
それをやると、味がしない麺を啜ることになる。
提供された瞬間が勝負だ。
麺が固まる前に、箸を丼の底に突き刺す。
下から持ち上げるようにして、全体をひっくり返す。
躊躇はいらない。
麺がタレと脂をまとい、白から飴色へ変わっていく。
ラードと揚げエシャロットの匂いが、一気に立ち上がる。
ここで初めて、この丼は完成する。

脂を食べる料理
乾麺は、具を食べる料理ではない。
脂を食べる料理だ。
日本の油そばほど重くはない。
まぜそばほど具沢山でもない。
あるのは、ラードの甘み。
醤油膏のコク。
油葱の香り。
具がない分、小麦の香りと動物性油脂の旨さが、直接舌に届く。
シンプルだが、満足度は高い。
毎日食べられる理由が、よくわかる。
他の「乾」との違い
似た名前の麺は多い。
混乱しないために整理しておく。
乾麺は、最もプレーンだ。
ラード醤油味。
最安値で、店の基礎体力を見るための麺。
麻醤麺は、胡麻ダレが主役になる。
濃厚で、重たい。
乾麺とは別物だ。
炸醤麺は、肉味噌の存在感がある。
塩気が強く、具を食べる感覚に近い。
意麺の乾は、麺が縮れ麺に変わる。
タレの系統は乾麺と似ていても、食感がまったく違う。
スープが必要な理由
乾麺だけを黙々と食べる人は少ない。
理由は単純だ。
途中で口の中が重くなる。
だから台湾人は、必ずスープを添える。
魚丸湯。
貢丸湯。
餛飩湯。
どれも、あっさりしている。
麺を啜り、スープを飲む。
この往復で、食事は完成する。
乾麺は単体ではなく、セットで成立する料理だ。

原点に戻るという選択
乾麺は地味だ。
写真映えもしない。
観光ガイドにもほとんど載らない。
だが、この二文字を避け続けると、台湾の食卓の核心を見逃す。
美味しい麺と、美味しい脂。
それだけで成立するという思想。
メニューで乾麺を見つけたら、恐れずにチェックを入れてみてほしい。
そこには、台湾の日常を支える、静かな旨さがある。





