―― 眷村から街へ広がった、一杯の成り立ち ――

台湾の牛肉麺は、
いまではどの街でも当たり前のように見かける料理だが、
その出発点は戦後の「眷村(ジュエンツン、軍人村)」にある。
大陸から渡ってきた軍人やその家族が、
各地に形成した小さな共同体の中で、
それぞれの出身地の料理が混ざり合っていった。
四川、雲南、山東、青海…。
ばらばらだった記憶の味が、
眷村という閉じた空間の中で少しずつ折り合いをつけながら、
台湾独自の牛肉麺へと姿を変えていった。
もともと台湾には牛肉を食べる文化がほとんどなかった。
農耕に欠かせない牛は貴重で、
食用として扱うこと自体が例外に近かったという。
その「外から来た文化」が、
いまや台湾の国民食のような存在になっているのが、面白い。
紅焼と清燉という二つの流れ
昼どき、街の牛肉麺店を覗くと、
店先に掲げられたメニューは意外と簡素だ。
「紅焼牛肉麵」
「清燉牛肉麵」
文字数は少ない。
だが、どちらを選ぶかで、
目の前に置かれる一杯の性格ははっきりと変わる。
牛肉麺には、大きく分けて二つの系譜がある。
ひとつは、
八角や醤油を効かせた香りの強い「紅焼(ホンシャオ)」。
もうひとつは、
比較的あっさりとした澄んだスープの「清燉(チンドゥン)」。
眷村では、この二つが明確に分かれていたわけではなく、
家庭ごとに少しずつ配合が違い、
レシピも口伝えで曖昧なまま伝わっていったらしい。
紅焼は、
一口目で存在を主張する味だ。
清燉は、
食べ終わったあとに余韻が残る。
どちらが正しいという話ではない。
その日の体調や、
鍋の向こうに立つ店主の出自によって、
自然に選ばれてきた。
だから台湾の牛肉麺には
「正解の味」がない。
街ごと、店ごと、家庭ごとに、
少しずつ違うのが当たり前になっている。
都市と一緒に定着した味
牛肉麺が本格的に街へ広がったのは、
1970年代以降の都市化の中だと言われている。
夜遅くまで働く人が増え、
短時間で食べられる外食の需要が高まった。
牛肉麺は、
下処理に時間はかかるが、
一度仕込めば回転がきく。
屋台にも、
小さな店舗にも対応できる柔軟さがあった。
台北では香辛料がやや強め、
台中では薬膳寄り、
高雄ではスープにコクがある。
同じ牛肉麺でも、
都市の性格とともに
味の方向性が少しずつ分かれていった。
駅前にも、
住宅街にも、
市場の横にもある。
牛肉麺は、
都市のテンポに合わせて形を変えながら、
台湾の日常に沈み込んでいった。

牛肉麺の「完成」は卓上で行われる
牛肉麺は、
運ばれてきた瞬間に完成する料理ではない。
多くの店で、
卓上にはいくつかの小さな容器が置かれている。
酸菜(スァンツァイ)。
泡椒(パオジャオ)。
辣油、あるいは自家製の唐辛子ペースト。
これらは付け合わせではなく、
味を「仕上げるための部品」だ。
酸菜は、
高菜や芥菜を乳酸発酵させたもので、
強い酸味と独特の香りがある。
スープに少し入れるだけで、
油分の輪郭が引き締まり、
後味が軽くなる。
泡椒は、
唐辛子を塩水や酢で漬けたものだ。
辛さそのものよりも、
発酵由来の鋭さが前に出る。
紅焼に入れれば重さを切り、
清燉に入れれば輪郭を与える。
多くの台湾人は、
最初からこれらを入れない。
まずは何も加えず、
その店の「基準の味」を確かめる。
半分ほど食べ進めてから、
少しずつ足す。
味を変えるというより、
時間とともに一杯を分解していく感覚に近い。
牛肉麺は、
店が用意したものを受け取る料理ではなく、
食べる側が最後に完成させる料理なのだ。
牛肉麺という「風景」
赤い看板に白い文字で書かれた「牛肉麵」。
店先の鍋から立ちのぼる湯気。
麺をゆでる音と、器がぶつかる音。
客は黙って麺をすすり、
食べ終わると、
特別な感想も残さず席を立つ。
牛肉麺は、
もはや「食べに行く料理」ではない。
そこにあって当然のものとして、
街の背景に溶け込んでいる。
戦後に持ち込まれたひとつの料理が、
時間をかけて土地に染み込み、
いまでは台湾を語るときに
説明を必要としない存在になっている。




