朝7時の市場。
買い物客の流れの間に、屋台が点在している。
鍋はすでに沸き、湯気が通路までこぼれている。
ここで出される料理は、軽くない。
スープは濃く、麺は太い。
朝食という言葉から連想される内容とは少し違う。
市場の食堂は、観光客向けの朝食会場ではない。
売り場の延長に置かれた、もう一つの作業場である。
並んだ食材を、その日のうちに最も良い形で処理するための場所だ。
鮮度の極北としての内臓料理
深夜に屠畜された肉は、早朝には市場へ届く。
冷蔵を経ない温体肉である。
この恩恵を最も受けるのは、赤身ではない。
内臓である。
猪血湯、粉腸、下水湯。
どれも足が早く、時間とともに風味が崩れる部位だ。
冷蔵庫を通さない内臓は、数時間で表情が変わる。
だからこそ、朝に食べる意味がある。
市場のスープに雑味が少ないのは、技術ではない。
距離と時間が短いだけである。
内臓が苦手だと言う人ほど、
この時間帯の一杯は基準を変える。
■ 関連する記録
労働のための高密度な食事
市場のメシは軽食ではない。
これから数時間、立ち続け、運び続ける人のための燃料である。
鹹粥、米粉湯、油飯。
どれも流し込みやすく、腹に残る。
煮込み続けるほど味が安定し、
時間に左右されにくい。
市場は止まらない。
だから料理も、止まらないことを前提に組まれている。
席が埋まっている店は、回転が速い。
鍋が空になり、すぐに次が足される。
それは出来立てが循環している証拠でもある。
買い出しとつまみ食いのあいだ
市場では、調理と販売が分かれていない。
作られたものが、その場で売られる。
肉団子が丸められ、
練り物が茹で上がる。
魚丸や貢丸は、本来は夕食の材料だ。
だが数個だけ、その場で買うことができる。
茹でたての筍やトウモロコシも同じだ。
調理済みだが、完成品ではない。
ビニール袋に入った温かい練り物を受け取り、
一つだけ歩きながら食べる。
台所と市場が直結していることを、
体で理解する瞬間である。
今ここでしか成立しない味
朝の市場の料理は、
すべて時間の制約の中で成立している。
鮮度が高すぎて、夜までは持たない。
労働のリズムに合わせて、重く作られている。
作る場所と売る場所が同じで、工程が省略されている。
市場で食べるという行為は、
珍しいものを探すことではない。
都市の物流が、
最も新しい状態で皿に落ちる瞬間に立ち会うことだ。
プラスチックの椅子に座り、
湯気の向こうで解体される肉を眺めながらスープを啜る。
そのとき食べているのは、
料理というより、都市の時間そのものである。

