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台湾の燙青菜についての記録

魯肉飯と肉団子スープを並べる。
湯気は立つが、色味はほぼ茶色だ。

ここで多くの人が、同じ行動を取る。
「燙青菜」。

燙青菜とは、直訳すれば「湯通しした青菜」だ。
野菜を一皿足せば、全体のバランスが取れた気になる。
栄養的にも、心理的にも。

台湾の食堂で燙青菜を頼んで、外した記憶はあまりない。
味は予測可能で、量も適切。
主役にはならないが、確実に役割を果たす副菜だ。

ただし、日本の「お浸し」や「サラダ」を想像していると、少し戸惑う。


茹でてから、あえて汚す

調理は単純だ。
鍋の湯で野菜をさっと茹でる。

ここまでは、どこまでも健康的に見える。

しかし、その後が違う。
ザルに上げた野菜に、豚油。
揚げエシャロット。
刻みニンニク。
甘みのある醤油膏。

油は惜しみなく回しかけられる。

結果として皿に現れるのは、
さっぱりした副菜ではない。

これはサラダではない。
油と香味を受け止めるための、緑色の器だ。

青臭さは完全に消え、
ご飯と一緒に食べる前提の味になる。

燙青菜は、野菜を主張させる料理ではない。
野菜を「使って」食卓を成立させる料理だ。


今日の野菜は、選べない

メニューには、たいてい「燙青菜」としか書いていない。

何が出てくるのかは、聞かなければ分からない。
聞いても、選択肢は早口で提示される。

キャベツ。
レタス。
空心菜。
そして、地瓜葉。

迷ったら、地瓜葉を選ぶ。
それが、台湾に何度か来た人間の判断になる。

日本では、ほとんど食卓に上がらない葉だ。
だからこそ、ここで選ぶ意味がある。


豚の餌だった葉の逆転

地瓜葉。
サツマイモの葉だ。

かつてこれは、人間の食べ物ではなかった。
豚の餌。
あるいは、貧しさの象徴。

しかし今では、燙青菜の中でも特別な存在になっている。

栄養価が高い。
繊維も多い。
そして何より、食感が良い。

茎はシャキッとしている。
葉には、わずかな粘りがある。

一皿の中に、複数の食感が共存する。
油とニンニクを受け止めても、負けない強度がある。

キャベツやレタスでは、ここまで成立しない。
燙青菜という形式に、最も適応した野菜が、結果として地瓜葉だった。


サラダが成立しない気候

台湾で、生野菜のサラダをあまり見かけないのには理由がある。

体を冷やす。
水分が多い。
味が弱い。

湿度が高く、冷房も強い環境では、生野菜は歓迎されにくい。

燙青菜は、火を通すことで量を減らし、
油でコーティングすることで満足感を与える。

温かい。
重い。
だが、重すぎない。

野菜を食べたという事実と、
美味しいものを食べたという実感。

その両方を、同時に成立させる設計になっている。


皿の底に残るもの

食べ終わった後、皿の底を見る。

ニンニクと醤油と油が混ざった液体が残っている。

これを見て、
「ヘルシーだった」と言い切るのは難しい。

だが、
「失敗だった」と思う人も、ほとんどいない。

燙青菜は、罪悪感を消すための料理ではない。
罪悪感を抱かずに済むよう、あらかじめ設計された料理だ。

台湾の食卓に緑がある理由は、
栄養だけではない。

心理的な帳尻合わせまで含めて、
この一皿は機能している。

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