―― 看板に刻まれた「嘉義」の文字 ――
台北でも、高雄でも。
鶏肉飯の看板には、決まって「嘉義」の二文字がある。
繁華街の路地でも、駅前の食堂でも、
まるで原産地表示のように、その地名は繰り返される。
「嘉義」と書かれていない鶏肉飯は、
どこか借り物のような扱いを受ける。
普段は気にも留めない文字なのに、
今日はその二文字が、やけに目に残る。
なぜ「七面鳥」だったのか
鶏肉飯の発祥地は、台湾中南部の都市・嘉義だ。
正式には「火鶏肉飯」と呼ばれる。
火鶏。
つまり、七面鳥である。
第二次大戦後、台湾は深刻な食糧不足にあった。
一般的なニワトリは高価で、数も限られていた。
その代わりに注目されたのが、体の大きな七面鳥だった。
肉の歩留まりが良く、一羽で多くの人を養える。
嘉義の人々は、その肉を細かく裂き、
少量ずつ、ご飯の上にのせた。
豪華さはない。
だが、確実に腹を満たす方法だった。

「本流」と「代替」のあいだで
時代が進み、鶏肉飯は台湾全土に広がった。
しかし、七面鳥は扱いが難しく、コストもかかる。
台北や北部では、
次第に普通のニワトリを使う店が増えていく。
それでも、嘉義では今も「火鶏」にこだわる店がある。
パサつきやすい肉を、どう食べさせるか。
その問いに向き合ってきた歴史が、
この料理の背後に積み重なっている。
油と米の魔術
目の前に置かれた丼は、驚くほど簡素だ。
白いご飯の上に、繊維状の肉が静かにのっている。
一見すると、乾いて見える。
だが、箸を入れると分かる。
底に、黄金色の液体が潜んでいる。
鶏油。
皮から抽出した脂に、揚げた紅葱頭の香りを移したものだ。
全体を混ぜると、
油と米がゆっくりと乳化していく。
口に入れた瞬間、
淡白な見た目を裏切るコクが広がる。
これは肉料理ではない。
香りのついた油で、米を食べる料理だ。

足し算ではなく、引き算
魯肉飯が、醤油と砂糖の足し算だとすれば、
鶏肉飯は、塩と脂の引き算に近い。
味は静かで、主張しすぎない。
だが、食べ終わると、不思議と記憶に残る。
戦後の欠乏から生まれた料理が、
飽食の時代に生き残っている理由は、そこにある。
嘉義という地名は、
単なる発祥地ではない。
質素であることを、美徳としてきた時間そのものを、
その二文字は保証している。


