―― 鶏肉飯に「王」は不在か? ――
台北の街を歩いていると、
気づかないうちに黄色い看板の下に立っていることがある。
鬍鬚張魯肉飯(ひげ張)。
誰もが魯肉飯の店だと知っている場所だ。
店に入り、メニューを見る。
一行目は当然、魯肉飯。
そのすぐ下に、白い文字で「鶏肉飯」が並んでいる。
茶色の椀の陰に、白い椀が置かれている。
それは主役ではない。
だが、消されてもいない。
店内を見渡すと、この白い椀を選んでいる客が、思ったより多い。
私はここで、一つの仮説を立てる。
台湾で最も多く鶏肉飯を売っているのは、
鶏肉飯の専門店ではなく、
この魯肉飯の王なのではないか。

完成された茶色、定まらない白
魯肉飯は、完成された料理だ。
脂の比率。
醤油の濃さ。
甘さと塩気の境界。
どの店で食べても、
「正解」と呼べる輪郭がある。
髭須張は、その標準形を
都市規模で再現することに成功した。
これ以上、変わる余地はほとんどない。
一方で、鶏肉飯は違う。
七面鳥を使う店もあれば、
ニワトリで代替する店もある。
裂き方は粗く、
油は多かったり、少なかったりする。
揚げエシャロットが香る店もあれば、
ほとんど素の白さを保った椀もある。
ひげ張の鶏肉飯でさえ、
どこか借り物のような表情をしている。
魯肉飯のシステムを流用して、
空いた場所に置かれた料理。
そんな印象が拭えない。
なぜ「鶏肉飯チェーン」は生まれないのか
台湾の街には、
無数の「嘉義火鶏肉飯」の看板がある。
個人店は多い。
だが、それらを束ねる覇権チェーンは現れない。
理由は単純かもしれない。
誰も、
「これが鶏肉飯だ」と言い切れていない。
ゴールが定義されていない料理は、
マニュアル化できない。
味を均質化できず、
物流に乗せられず、
ブランドとして拡張できない。
結果として、
すでに物流と店舗網を完成させた
魯肉飯チェーンが、
“ついでに”鶏肉飯を供給する。
王が別の料理をも支配する。
奇妙だが、合理的な構図だ。

白き椀の、伸びしろ
だが、これは悲観すべき状況ではない。
型がないということは、
まだ固まっていないということだ。
魯肉飯は、完成されたがゆえに、
これ以上の進化が難しい。
鶏肉飯は違う。
まだ揺れている。
まだ試されている。
今日、ひげ張で食べた白い椀は、
完成品というより、試作品に近かった。
だが、その未完成さこそが、
この料理の本質なのかもしれない。
台湾の食文化は、
完成された王だけで構成されてはいない。
王の足元で、
静かに形を変え続ける料理がある。
鶏肉飯とは、
その変化の途中にある白い椀なのだ。





