―― 飲み物に限りなく近い一杯 ――
器の中を覗き込むと、そこには形を失った白い膜が漂っている。
輪郭は曖昧で、固体なのか液体なのか判然としない。
箸で持ち上げると、薄い皮が長く垂れ下がり、湯の中で揺れる。
その様子は、水槽の中を泳ぐ金魚の尾ひれに似ている。
台湾で「饂飩湯(ワンタンタン)」と呼ばれるこの料理は、
何かを食べるというより、
景色をすくい上げる行為に近い。
名称に宿る神話的記憶
「饂飩(ワンタン)」という言葉は、もともと混沌(Huntun / Hundun)を意味する。
中国神話において、それは天地が分かれる以前の、
濁り、包まれ、穴のない状態を指す。
薄い皮で中身を完全に包み込んだその形が、
この“混沌”を連想させたのだと言われている。
かつては冬至にこれを食べ、
混沌を体内に取り込み、そこから新しい気を生む。
そんな儀式的な意味合いもあったらしい。
朝、寝ぼけた頭でこの白いスープを啜る行為は、
現代に残った、ささやかな名残なのかもしれない。

主役は皮である
この料理の主役は、肉ではない。
圧倒的に「皮」だ。
台湾の饂飩の皮は、向こう側が透けるほど薄い。
噛むという動作すら必要としない。
口に含むと、
舌の上を滑り、
抵抗なく喉の奥へと落ちていく。
これは咀嚼の料理ではない。
嚥下の快楽を最大化するための構造物だ。
中の肉餡は、形を保つための錘にすぎない。
饂飩の中にある派閥
もっとも基本的な饂飩は、「皮を飲む」ための古早味だ。
しかし台湾では、いくつか明確な派閥が存在する。
鮮肉饂飩(温州系)
巨大な肉団子が主役になるタイプ。
皮はあくまで器であり、
これはもはやスープ仕立ての肉料理だ。
鮮蝦饂飩
豚肉餡の中に、海老が丸ごと仕込まれている。
皮のトロみ、肉のジューシーさ、
そして海老の「プリッ」とした歯切れ。
三層の食感が、口の中で一瞬だけ交差する。
菜肉饂飩
チンゲン菜やナズナを刻み込んだタイプ。
繊維質のシャキシャキ感が入り、
わずかに罪悪感が薄れる。

香りで成立する白いスープ
淡白な饂飩を支えるのは、
台湾のスープに共通する香りの構成だ。
セロリ(芹菜)の青い香り。
揚げエシャロット(油葱酥)の焦げた甘み。
仕上げに振られる白胡椒の、鼻腔を突く刺激。
さらに多くの店では、
小白菜がさっと添えられる。
トロトロの白い世界の中で、
この野菜だけが現実的な歯触りを持ち、
一瞬、身体をこちら側に引き戻す。
飲み物に限りなく近い一杯
台湾の饂飩湯は、
「軽い食事」と呼ぶには、少し違う。
それは、
飲み物に限りなく近い一杯だ。
胃に落ちる重さをほとんど感じさせず、
疲れた日や、食欲のない朝にも、
抵抗なく体に染みていく。
白く、曖昧で、境界線のない一杯。
それは台湾の日常に浮かぶ、
小さな雲のような存在である。



