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台湾の紅油抄手についての記録

皿が置かれた瞬間、まず目に入るのは色だ。
白く、ほとんど無防備に見えるワンタン。
その下に溜まった、異様なほど赤い油。

紅油抄手は、視覚的に強い料理である。
茹でたばかりの皮は、まだ水分を含み、薄く光を反射する。
対して、底に沈むラー油は粘度が高く、光を吸い込む。

白は受け身で、赤は攻撃的だ。
この料理は、最初の一秒でそう宣言してくる。


なぜここにいるのか

紅油抄手は本来、四川の料理である。
だが台北でこの料理を探すと、四川料理店よりも、小籠包屋や麺食館で出会う確率の方が高い。

これは偶然ではない。
台湾の「麺食館」は、地域料理の店ではなく、小麦粉文化の集合体だ。
餃子、小籠包、麺、ワンタン。
出自が違っても、素材が同じなら同じ棚に並ぶ。

さらに理由がある。
紅油抄手は、脂を切るために存在している。

小籠包は、豚の脂を楽しむ料理だ。
数個食べれば、舌は油で覆われる。
そこに、酸味と辛味を持つ紅油抄手を挟む。
舌の表面が一度剥がれ、また次の小籠包を受け入れられる状態に戻る。

主役の隣に置かれる理由は、味ではなく機能にある。


「抄手」という形

紅油抄手は、普通の餛飩とは包み方が違う。
両端を折り重ね、中央で止める。
結果として、どこか腕を組んだような形になる。

「抄手」という言葉は、寒い日に袖の中で手を組む仕草を指す。
四川の冬は厳しい。
辛い料理が多いのは、身体を温めるためだ。

激しい味の奥に、寒さへの記憶が残っている。
紅油抄手は、刺激的な料理であると同時に、防寒具のような食べ物でもある。


台湾での変形

四川の紅油抄手は、麻と辣が支配的だ。
花椒の痺れが舌に残り、辛味は直線的に攻めてくる。

台湾版は違う。
ここには黒酢が入り、砂糖が入る。
結果として、味は丸くなる。

赤いが、凶暴ではない。
辛いが、攻撃は続かない。
甘酸っぱさが一瞬介入し、刺激を中和する。

これは妥協ではない。
小籠包の隣に置くための調整だ。
主役を殺さず、かつ印象を残すための、計算された弱体化である。


二番手としての完成

紅油抄手が単品で主役になることは少ない。
「今日は紅油抄手を食べに行こう」とは、あまり言われない。

だが、これが無い食卓は、どこか締まらない。
脂の物語だけでは、流れが単調になる。

紅油抄手は、物語を区切るための装置だ。
舌を一度リセットし、次の一口に意味を持たせる。

永遠の二番手。
しかし、欠けると全体が崩れる。


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