―― 星が落ちた場所 ――

2009年。
料理界にとって、少し奇妙なニュースが流れた。
世界で最も権威あるミシュランガイドが、
台湾の小籠包チェーン「鼎泰豊」に一つ星を与えた。
ただし、受賞したのは台北の信義本店ではない。
香港のショッピングモールにある一店舗だった。
尖沙咀の新港店。
この順番が、まず人をざわつかせた。
なぜ本店ではないのか。
そもそもチェーン店が星を獲ることはありえるのか。
一つ星のニュースは、
ミシュランの歴史と、アジアのB級グルメの位置づけを、
同時に揺らすことになった。
ミシュランとチェーン店の相性
従来のミシュランは、
シェフの作家性を評価する傾向が強かった。
その日、その場所でしか成立しない体験。
個人の手癖や、美意識。
料理人の名前が、店の価値を決める。
そういう世界観だ。
一方、鼎泰豊の哲学は標準化に寄っている。
コピーとマニュアル化。
世界中どこでも同じ味を出すことを目標にする。
この二つは、本来相性が悪い。
水と油の関係に近い。
鼎泰豊の受賞は、
ミシュランが「個人の天才性」よりも
「組織の再現性」を評価した、という出来事として残った。
料理がアートである前に、
エンジニアリングでありうる。
そういう認識が、表に出た。
なぜ香港だったのか
台北本店を差し置いて、
なぜ香港の支店が先に星を獲ったのか。
理由として語られるものが、いくつかある。
ひとつは、香港という土地の厳しさだ。
香港は点心の激戦区とされる。
客の舌が肥えている。
少しでも質が落ちれば、容赦なく淘汰される。
その環境で生き残るために、
香港の鼎泰豊は、よりストイックな品質管理を求められた。
ローカライズで丸くなるのではなく、
むしろクオリティアップに寄せる。
そういう圧力が、店を鍛えたという見方がある。
もうひとつは、
ミシュランのアジア戦略という事情だ。
当時、ミシュランはアジアでの足場を広げていた。
高級料理だけではなく、
手頃な価格の店を権威づけする必要もあった。
清潔。
サービスが一流。
味が安定している。
鼎泰豊は、その象徴として扱いやすい。
B級グルメを星付きに引き上げるための、
最適なアイコンだった。
世界一安いミシュラン
当時、鼎泰豊での食事は、
一人あたり1000〜2000円ほどだった。
この価格帯で星が付くこと自体が、
話題になりやすかった。
「世界で最も安く食べられるミシュラン星付きレストラン」
そう呼ばれることもあった。
これにより、鼎泰豊は
「台湾の美味しい店」から
「わざわざ旅行してでも食べに行くブランド」へと
見え方を変えていく。
蒸籠が開く瞬間の湯気が、
単なる熱ではなく、
国境を越える価値の証明として扱われ始めた。

小籠包が世界語になっていく
この一つ星のニュースは、
鼎泰豊という店の評価に留まらなかった。
結果として、小籠包そのものが
国境を越える入口を得たように見える。
それまで小籠包は、
中華圏の中ではよく知られた料理だった。
ただ、世界の一般名詞としてはまだ弱かった。
「餃子」や「点心」の中の一種として、
説明が必要な食べ物だった。
ミシュランが星を与えたことで、
小籠包は「説明される料理」から
「目的地になる料理」へ移動した。
旅行者は、
台北で何を食べるべきかを探すとき、
小籠包を候補に入れるようになった。
香港のモールで食べられるという事実も、
この料理の距離を縮めた。
屋台やローカル食堂の文脈から切り離され、
清潔で、分かりやすい入口として提示された。
鼎泰豊が評価されたのは小籠包の味だけではなく、
小籠包を「輸出できる形」に整えたことでもあった。
その後、世界の都市で小籠包が
ひとつのジャンルとして扱われるようになる。
星の効果は、
店の行列よりも先に、
料理名の浸透として現れたのかもしれない。

星が付いたのは点心師ではなくシステム
星付きの店は、
シェフが辞めれば評価が揺らぐことがある。
鼎泰豊の場合、
星は特定の点心師に付いたわけではない。
「ひだ18、重さ21g」
そうした規格を誤差なく量産し続ける
教育システムと品質管理に星が与えられた。
ここでは、
料理の価値が個人から組織へ移動している。
工芸品のような手仕事が、
工業製品のような再現性を獲得する。
その移行が、
小籠包という形で行われた。

台湾本店はどう扱われたか
その後、ミシュランが台湾版(台北ガイド)を発行した際、
本店は星ではなくビブグルマン常連として扱われた時期がある
(年や評価の揺れは年度によって変動する)。
ここには、少し皮肉もある。
台北の本店が絶対王者として君臨する、
という構図にはならなかった。
ただ、鼎泰豊の側は
それを失敗と見なしていないように見える。
どの店舗で食べても、
香港の星付き店と同じ味がする。
その状態こそが誇りだからだ。
評価の中心が、
店舗ではなく仕組みにある。
そう考えると、このズレは自然でもある。

標準化という名の芸術
鼎泰豊のミシュラン獲得は、
料理人にとって希望であると同時に、
別の種類の圧力でもある。
天才的なひらめきがなくても、
狂気的なまでの凡事徹底があれば、
世界は獲れる。
そういう証明になってしまったからだ。
香港のモールで蒸籠を開けるとき、
そこにあるのは小籠包だけではない。
世界最高峰のオペレーションシステムが、
湯気の中に折り畳まれている。
それを食べている、という感覚が残る。





