MENU

台湾・小籠包 国際化の影の主役についての記録

台湾の小籠包を世界に広めたのは、言うまでもなく鼎泰豊だ。
ロサンゼルスでも、ロンドンでも、シンガポールでも、同じ看板があり、同じ蒸籠が積まれる。

ただ、もう一人の主役がいる。
目立たないが、数の世界で勝っている主役だ。

その名は奇美(Chimei)。
台湾のハイテク企業として知られるグループである。
だが彼らは、工場で小籠包を作っている。


奇美という奇妙な兄弟

奇美グループは、複数の顔を持つ。

ある時は、世界最大級のプラスチック(ABS樹脂)のメーカーとして。
ある時は、液晶パネルを作る企業として。

そしてもう一つの顔が、スーパーの冷凍コーナーにある。
冷凍点心の大手としての顔だ。

硬質なプラスチックと、柔らかな小籠包。
一見すると何の関係もない。
だが、両者をつないでいるのは、創業者の哲学と、徹底したエンジニアリングだった。


1971年、日本の「うなぎ」から始まった

奇美食品の設立は1971年。
まだ台湾のハイテク産業が花開く前の話だ。

当時、台湾は日本への食料供給基地だった。
とくに需要が高かったのが、冷凍うなぎと冷凍豚肉だと言われる。

創業者の許文龍(シュー・ウェンロン)は、台湾の農産物を加工し、付加価値をつけて外貨を稼ぐために食品事業を立ち上げた。

初期のミッションは単純だった。
台湾の美味しいものを、鮮度を保ったまま海を渡らせる。

ここで培われたのが、後に小籠包へ応用される低温流通の基礎体力だった。
凍らせて運び、崩さず届ける。
その地味な技術が、先に積み上がっていく。


コンビニという黒船

転機は1990年代に来る。
日本のコンビニエンスストアが急速に拡大し、レジ横の中華まん需要が爆発した。

ただし、日本の要求は厳しい。
数百万個作って、形も味も全部同じにしろ。
絶対に異物を入れるな。

この要求に応えられたのが奇美だった。

彼らにとって肉まんは、料理というより工業製品に近かった。
小麦粉の状態も、肉の脂も、ばらつきを減らす対象になる。

日本という「世界一うるさい顧客」に鍛えられた経験は、
そのまま後の世界展開へのパスポートになっていく。


「皮」を科学する

肉まん(包子)は冷凍できる。
だが小籠包は難しい。

薄い皮の中にスープが入っている。
冷凍し、加熱すると、水分が膨張する。
その圧力で皮が破裂してしまう。

ここで奇美の化学メーカーとしてのDNAが出る。
彼らは皮を「新素材」として扱った。

ただの小麦粉ではない。
でんぷん質の配合を変え、冷凍耐性と伸縮性を持たせる。
破れない薄さを作る。

この「でんぷん」は、小籠包の話でありながら、台湾の別の国民食ともつながっている。
キャッサバだ。
タピオカにも使われる、あの原料である。

キャッサバ由来のでんぷんは、小麦とは違う粘りと弾力を持つ。
皮を薄くしても裂けにくくし、冷凍と加熱の揺れを受け止めやすい。
食べたときの「もちっとした感触」も、そこから生まれることがある。

さらにスープの側も調整する。
ゼラチンで固めるだけではなく、解凍した瞬間に最も口溶けが良い融点を考えて脂を配合する。

調理というより、物性の設計に近い。
小籠包が、蒸籠の料理から、冷凍耐性のある商品へ変わっていく。肉まん(包子)は冷凍できる。
だが小籠包は難しい。


黒衣の覇者として広がる

奇美の最大の強みは、自社の名前を消すことを恐れない点にある。

日本の某大手コンビニの肉まん。
世界的に有名なテーマパークのキャラクターまん。
アメリカの会員制巨大スーパー(Costco)のプライベートブランド。

それらの中身を作っているのが奇美だと言われる。

彼らは、表に立つより、裏で支える道を選んだ。
ブランド代にお金をかけるより、製造品質にお金をかける。

鼎泰豊が「店」として広がったのだとすれば、
奇美は「棚」として広がった。
冷凍庫の中で、国境を越えていく。


宗教の壁を越える

点心の最大の弱点は豚肉だ。
これではイスラム圏に売れない。

奇美はいち早くハラール認証の取得に動いた。
だが豚の脂(ラード)を使わずに、ジューシーな小籠包を作るのは難しい。

ここでも工業的な知見が生きる。
植物油と鶏肉の乳化技術を使い、豚肉なしで濃厚なスープを再現する。

その結果、東南アジアや中東という市場への扉が開く。
鼎泰豊でさえ簡単には攻め込めない場所へ、別の形で入り込んでいく。


マイナス18度のシルクロード

いくら良い製品を作っても、輸送中に一度でも溶ければ終わりだ。
皮は割れ、スープは逃げ、商品にならなくなる。

奇美は工場から世界の棚まで、一度も温度を上げずに運ぶ物流網を整えていく。
冷凍のまま、切らさず、崩さず届ける。

1970年代から日本へうなぎを輸出していた経験が、ここで効いてくる。
低温で運ぶことは、味のためだけではない。
信頼のためでもある。

日本で鍛えられた物流品質が、そのまま世界のスタンダードになる。


幸福のコストダウン

許文龍は、芸術を愛し、病院を作り、博物館を作った人物としても知られる。
彼の哲学には、生活の側に寄る匂いがある。

良いものは、一部の金持ちだけのものであってはならない。
そういう言葉が残っている。

鼎泰豊が高価なオートクチュールなら、奇美はユニクロだ。
誰もが買える価格で、品質の高い小籠包を提供する。

そのために工場を動かし、コストを極限まで下げる。
それは安物作りではなく、食の民主化だった。

高級店の体験を、冷凍庫の中に落とし込む。
誰でも手が届く場所に置く。
奇美の役割はそこにある。


工場の蒸気

台南にある奇美の工場では、今も毎日数百万個の点心が作られている。
その横で、同じグループ会社が液晶パネルや高機能プラスチックを作っている。

扱う素材は違う。
ただ、最高品質のものを、安定して大量に供給するという温度は同じだ。

台湾製造業(Made in Taiwan)の魂は、
蒸籠の湯気にも、工場のラインにも、同じように残っている。

鼎泰豊が世界に小籠包を知らせた。
奇美は世界に小籠包を行き渡らせた。

どちらも目立つ。
ただ、後者は棚の中に隠れている。
だから気づかれにくい。

それでも、小籠包が国境を越えて「当たり前の食品」になった背景には、
この工場の蒸気が混ざっているように見える。


よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次