―― 厨房という名の工場 ――
髭須張魯肉飯(ひげ張)の店で食事をする時、多くの人はそこを
「厨房で料理人が調理している場所」だと認識している。
注文をし、席に座り、碗が運ばれてくる。
その一連の流れは、確かに飲食店のそれに見える。
だが、少し視点をずらすと、違う輪郭が浮かぶ。
店舗のバックヤードで行われているのは、
一からの調理というよりも、半製品の最終工程に近い。
巨大な別の場所で作られた中核部分を受け取り、
温め、盛り付け、提供する。
この店は「料理を作る場所」というより、
「組み立てと提供を行う場所」と考えた方が近いのかもしれない。
髭のロゴが示すもの
髭須張(ひげ張)という店がある。
魯肉飯の全国チェーンだ。
創業は1960年。屋台から始まったこの店は、
今や台湾の食文化を定義する「基準点」となっている。
店内は明るく、床は清潔に保たれている。
冷房が効き、制服を着たスタッフが動く。
屋台に由来する料理でありながら、
提供される環境は均質で、どこか企業的だ。
多くの人にとって、この店は
「外れの少ない食事」を意味する場所になっている。
魯肉飯という民間の料理に、
安定した輪郭を与えた存在と言えるのかもしれない。
だが興味深いのは、
この店の影響が店舗の内部に留まっていない点だ。
魯肉飯という台湾の日常
台湾の国民食、魯肉飯(ルーローハン)。
細かく刻んだ豚肉を、醤油を基調とした甘辛いタレで煮込み、
白いご飯の上にかける。
構成は単純だが、店ごとの差は小さくない。
脂身の比率、甘みの強さ、八角の気配。
それぞれがわずかに異なる。
それでも、多くの人が同じ料理を思い浮かべることができる。
丼は小ぶりで、価格は控えめ。
単品で終える者もいれば、
青菜やスープを添えて一食に整える者もいる。
台湾において魯肉飯は、
特別な料理というより、日常を示すものだ。

心臓部としての新北産業園区
台北市の西側、新北市五股区(ウークー)。
新北産業園区と呼ばれるエリアに、ひげ張の心臓部がある。
2008年に設立され、後に拡張された中央廚房(セントラルキッチン)。
その内部は、
「キッチン」という言葉から想像される空間とは大きく異なる。
豚肉のカットライン。
巨大な煮込み釜。
急速冷凍設備。
品質検査のためのラボ。
ここでは、台湾全土の店舗向けの商品だけでなく、
スーパーマーケット用の製品、
さらには機内食向けの原料までもが製造されている。
味は、この場所で一元管理されている。
店舗は、完成品が向かう数ある出荷先の一つにすぎない。

ISOという共通言語
この規模で味を維持できる理由は何か。
ひげ張は、職人の感覚を中心にした運営から距離を取った。
代わりに採用されたのが、
ISO 9001、ISO 22000、HACCP といった国際規格だ。
鍋の温度。
塩分濃度。
煮込み時間。
冷却速度。
すべてが数値として記録され、再現される。
「塩を少々」「頃合いまで煮る」といった
曖昧な言葉は、ここでは使われない。
この翻訳作業によって、
熟練の料理人がいなくても、
設備と手順があれば同じ味に近づける状態が作られた。
屋台の情緒は、ここで一度手放されている。
その代わりに得られたのは、
工業製品としての安定性だった。

日本にあるもう一つの工場
ここで一つの疑問が生じる。
日本で販売されているひげ張のレトルト製品や、
石川県の店舗で提供される
魯肉飯(ルーローハン)は、どこで作られているのか。
すべて台湾から輸入されているわけではない。
実際には、日本国内に専用の製造拠点がある。
場所は石川県能美市。
製造を担っているのは、
社会福祉法人 佛子園(ぶっしえん)だ。
ここは障がいを持つ人々の就労支援施設として運営されているが、
単なるOEM工場ではない。
台湾本国と同じレシピ、
同じ衛生基準、
同じ管理項目が導入されている。
日本のひげ張製品が
安定して供給されている背景には、
この真面目な工場の存在がある。
レトルトと冷凍という二層構造
ひげ張の製品は、大きく二つに分かれる。
一つは常温保存可能なレトルト製品。
加圧加熱殺菌が施され、贈答用にも使われる。
もう一つは冷凍製品。
急速冷凍によって、
工場で作られた直後の状態を保つ。
特に冷凍品を流通させるためには、
工場から店舗、家庭までを低温で繋ぐ
コールドチェーンが必要になる。
この物流網を持っていること自体が、
ひげ張が単なる飲食店ではないことを示している。

鍋を捨てた日
創業当時、
ひげ張の創業者は屋台の鍋に張り付いていたという。
煮込みに集中し、
髭を剃る時間もなかったという逸話が残る。
現在のひげ張は、その鍋を捨てた。
代わりに選ばれたのは、
巨大なステンレス製のタンクだった。
それを味気ないと感じる人もいるだろう。
だが、その選択があったからこそ、
台湾から2000キロ離れた日本の家庭や、
高度1万メートルの機内で、
同じ味に近いものが再生されている。







