―― 未来の小籠包って、どんな姿だろう ――
屋台の前で、小籠包が蒸し上がるのを待っていた。
蒸籠の隙間から、細く白い湯気が立ち上がる。
それをぼんやり眺めながら、ふと考えた。
—— 未来の小籠包って、どんな姿をしているんだろう。
街が変わっていくなら、食べ物もきっと変わる。
それとも、変わらないでいてほしいのか。
そんなことを考えながら、蒸籠のフタが開くのを待っていた。
いま、小籠包の分岐点にいる
小籠包は長く「技術の料理」だった。
薄い皮、ひだの数、肉汁と小麦のバランス。
でもここ十年ほどで、評価軸が変わりつつある。
SNSが当たり前になって、写真に写る“見た目”が力を持ちはじめた。
皮はギリギリまで薄く、スープはできるだけ多く。
いわゆる「肉汁タプタプ系」が増えたのはそのためだ。
一方で、皮の旨味を大切にする昔ながらの店も残っている。
しばらくは共存していくのだろう。
でも、長い目で見ると、この均衡は保てないかもしれない。
外の世界が変わり続けているからだ。
小籠包は厨房の外から揺さぶられている
人口は減り、若い職人は少ない。
「手で包む」前提の商売は、維持がだんだん難しくなる。
ロボットアームの精度も上がった。
蒸し時間を自動で見極める技術も出てきた。
観光客は増えて、店はとにかく早く、分かりやすく出す必要がある。
消費者も二極化している。
「物語のある手仕事」を求める人と、
「いつでも同じ味」を求める人。
アメリカの作家マーク・トゥエインは言った。
歴史は繰り返さないが、しばしば韻を踏む。
小籠包の未来も、きっとどこかで似た道筋を通る。
① 手仕事へ戻る潮流 —— 意識高い化
コーヒー豆を浅煎りで、産地を細かく分けて。
そんな第三の波がコーヒーに来たように、小籠包にも揺り戻しが来る。
老麺を使い、餡の産地や部位を明確にし、
「不揃い」や「蒸しムラ」すら個性として扱う世界。
効率化された味に疲れた人が、ゆっくり蒸し上がりを待つ。
そんな未来は容易に想像できる。
② 完全自動化で突き進む道 —— 最適化
これは回転寿司がすでに経験した未来だ。
ロボット寿司が当たり前になったように、
小籠包もまた、人間が包まない時代に向かうかもしれない。
セントラルキッチンで大量生産し、
AIが温度と蒸気を管理し、
どこで食べても誤差なく安定している。
安さと速さを求める層はこちらを支持するだろう。
③ 肉汁が暴走する道 —— 過激化
SNS時代の小籠包は、肉汁の量が権力だ。
この流れがもっと先へ行ったらどうなるか。
二郎系ラーメンが「普通」の基準を壊したように、
小籠包もまた過剰化の道を歩むかもしれない。
餡はペースト化し、液体と一体化する。
皮は薄膜だけが残り、箸では持てない。
ホルダーやストローがついてくる世界。
正統派かどうかは関係ない。
写真に撮りたくなるかどうかだけが基準になる。
三つの未来は同じ通りに並ぶだろう
台湾の街は単一の未来を選ばない。
揺り戻し、機械化、過剰化。
きっと全部が同時に存在する。
朝は自動化の店でサッと食べ、
昼は過剰な肉汁に驚嘆し、
夜は小さな手仕事の店で締める。
そんな未来が、通り一本の中に並ぶ。
台湾はいつもそうだ。
新旧が混ざり合い、同時進行で進化する。
蒸籠が開いて湯気が上がった。
たれを用意していなかったので、
席を立って調味料を取りに行った。
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