―― 湿地を削り、海を深くし、船を呼び込んだ港の物語 ――
海沿いを歩くと、どこか人工的な静けさがある。
倉庫、クレーン、運河。
どれも人間の意図が詰まりすぎていて、自然発生した街とは違う気配がある。
高雄は、最初から輸出のために設計された港町だ。
地形:天然の巨大ラグーン
台北が盆地なら、高雄は潟(ラグーン)である。
細長い砂洲・旗津(チージン)が外海を遮り、その内側には広大な静水域が広がる。
だが、高雄はいわゆる「天然の良港」ではなかった。
もともとは湿地と砂洲が入り組んだ浅瀬で、潮流も複雑。
大型船が近づける深さもなく、港としての適性はむしろ低かった。
それでもここが港に選ばれたのは、
南部の地形が決定的だったからだ。
改造できる余地があったのだ。
山に囲まれた台北とは異なり、
高雄周辺は平坦で、海に向かって大きく開いている。
外洋に近く、大規模な掘削や浚渫を施せば、
巨大な人工港を作れる──その「余白」がここにはあった。
だから高雄港は、生まれつき優れていたのではなく、
人間が後天的に良港へと育てた場所なのだ。
名前の変遷:「竹林」から「英雄」へ
高雄の歴史は、そのまま「名前を上書きし続けた歴史」でもある。
もとは原住民・マカタオ族の言葉で Takau(竹林)。
それを漢人が音を借りて「打狗(犬を打つ)」と当て字した。
字面は悪く、都市名としてはあまりに粗野だった。
1920年、日本統治時代。
この地の格を上げるため、発音が近い京都の「高雄(たかお)」を当てた。
街の名前は一気に竹林 → 高き雄(英雄)へ。
地方の一漁村から、外洋とつながる近代港湾都市へ。
改名は、その脱皮の象徴だった。
日本による南進基地化
高雄を現在の形にしたのは、日本総督府の大規模な都市計画だ。
当時の台湾は砂糖・米の一大産地。
これらを本土へ運ぶために、出口(搬出ゲート)としての港が絶対に必要だった。
そのため、基隆から始まった縦貫鉄道は、
台南を抜けて一直線に高雄港の岸壁までつながった。
「鉄道で集め、港から出す」
その単純な物流のために街の背骨が設計されている。
塩埕区を歩くと、定規で引いたようなグリッド状の道路が続く。
自然発生ではなく、計画都市の証拠だ。
産業:砂糖から鉄へ
日本統治時代の高雄は、砂糖の出荷港だった。
戦後になると国民党政権は、その基盤をさらに工業へ転換していく。
高雄に世界初の「加工輸出区」が設けられ、
中鋼(鉄鋼)、中船(造船)、石化コンビナートが海沿いに並んだ。
台北が「政治と金融」なら、
高雄は「製造と物流」の都市。
街の空気に漂う金属の匂い、
倉庫街の無骨さ、
熱と油で満たされた港湾の風景。
それらは偶然ではなく、
輸出都市としての宿命がつくった質感なのだ。
開かれたマッスル・シティ
台北には城壁のような閉じた構造がある。
山に囲まれ、内側へ内側へと力が向かう。
一方、高雄には最初から壁がない。
あるのはただ、海へ向かって開いた岸壁だけだ。
道路は広い。
人は明るくて、どこか陽気だ。
熱帯の光が街を照らし、風もよく抜ける。
高雄は、外へ外へと力を押し出す都市。
海に向かって筋肉を見せつける、開放的なマッスル・シティだ。
その骨格は今も変わらず、台湾を世界へ送り続けている。
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