―― 台北が空路でつなぐ「半径3時間」の都市圏 ――
松山空港の出発ゲートで、羽田・金浦・虹橋の文字を目で追う。
いずれも都心に近すぎる空港。
そして、どれも片道3時間以内。
台北は、北東アジアの真ん中にある。
まるで、東京・ソウル・上海という巨大都市群が描く円の中心点のようだ。
この半径わずか3時間の空域に、
人口も経済も、政治も文化も凝縮されている。
それが 北東アジア ゴールデンフライトサークル(North-East Asia Golden Flight Circle) と呼ばれる圏域だ。
半径3時間の「密度」
定義はとてもシンプルだ。
台北(松山)から3時間以内で到達できる、北東アジアの中枢都市群。
・東京(羽田)
・上海(虹橋)
・ソウル(金浦)
どれも国家の政治の中枢であり、金融と情報の中心であり、巨大な購買力を持つメガロポリス。
この3都市と直結することは、台北にとって経済圏としての生命線を握ることと同義である。
都市の大きさも、産業の厚みも、人の流れも、どれを比べても
世界屈指の密度を持つ三角形が、この円の内部にすっぽり収まっている。
都心空港 × 都心空港という特異性
このゴールデンサークルの最大の特徴は、距離ではない。
結ばれている空港がすべて都心型であることだ。
羽田 ↔ 松山
金浦 ↔ 松山
虹橋 ↔ 松山
これは世界的に極めて珍しい。
政治・金融・行政機能が最も集積した場所同士を、わずか数時間で行き来できてしまう。
午前中に台北で朝ご飯を食べ、
午後には永田町や霞が関に座っている。
あるいは、夕方の便で飛べば、江南のレストランに間に合う。
都市間移動というより、
巨大都市の別フロアへ移動するような軽さがある。
「棲み分け」という戦略 ── 松山を消さなかった理由
本来、松山空港は桃園空港の開港で“用済み”になるはずだった。
しかし台湾は、この古い空港をただ捨てなかった。
むしろ 「役割を再定義して救った」 といえる。
桃園(TPE):
・遠いが広い
・24時間運用
・長距離国際線・ハブ・LCC
= 「量と遠く」担当
松山(TSA):
・小さいが近い
・都心直結
・日台韓の首都シャトル
= 「速さと近く」担当
このセグメンテーションをクリアに打ち出したのが、
馬英九政権(2008–2016)の大きな功績だ。
とりわけ、羽田−松山、金浦−松山、虹橋−松山といった
首都間シャトルを確立した判断は、
台北を北東アジアの空路ネットワークの中心に押し戻す英断だった。
松山が生き残ったのではない。
台北は松山を「必要な存在」に作り直したのだ。
「日帰り出張」という狂気の誕生
羽田−松山線の就航が生んだものは、単なる便利さではない。
それは 「日帰り国際出張」という新しいライフスタイルだった。
・朝、東京を出る
・昼、台北で会議をする
・夜、東京の自宅に戻る
これは、長距離国際線では絶対に成立しない。
都心空港 × 都心空港で結んだ結果、初めて可能になった魔法の動線である。
松山空港でスーツ姿が多いのは当然だ。
ここは観光客の玄関口ではなく、
空飛ぶハイヤー乗り場なのだ。
「古い空港」同士の連帯
面白いのは、松山だけが特別なのではないという点だ。
羽田
金浦
虹橋
松山
この4つはすべて、かつて郊外の新空港(成田・仁川・浦東・桃園)に主役を奪われた、
古い市街地空港たちである。
一度は時代遅れとされながら、
都心に近いという最後の武器を磨き上げ、
再び都市の中枢に返り咲いた。
これは、都市インフラにおける
敗者復活戦(リベンジストーリー)そのものだ。
古豪たちが手を組むことで初めて成立したのが、
北東アジア・ゴールデンフライトサークルである。
空のネットワークの中心
松山空港の滑走路を見るたびに、
羽田・金浦・虹橋へ向かう機体が入れ替わり立ち替わり現れる。
それは、台北という都市が
北東アジアの3つの巨大都市圏と
毎日、呼吸をするように結びついているということだ。
この半径3時間の円こそが、
政治・経済・文化の移動速度を決定し、
アジアの気配を台北の街角に運んでくる。
台北は地図の中心にいるのではない。
空のネットワークの中心にあるのだ。
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