―― 天秤棒が作った国民食 ――

料理の名前には、たいてい材料か地名が入る。
鶏が入っていれば鶏、四川なら四川。
だが、ナシカンダー(Nasi Kandar)は少し違う。
ナシは米。
カンダールは、天秤棒で担ぐという動作だ。
食材ではなく、運搬の仕方が名前になっている。
それはこの料理が、最初から「店」ではなく「移動」から始まったことを示しているように見える。
ナシカンダーを理解するには、皿の上のカレーを見るより先に、肩に食い込む棒の重さを想像したほうが早い。

19世紀のペナン島という舞台
時計の針を戻すと、舞台は19世紀のペナン島、ジョージタウンの港になる。
ここは大英帝国の貿易網の中で、重要な中継地として機能していた。
港には船が入り、物資が降ろされ、倉庫に運ばれる。
その仕事を担ったのは、苦力(クーリー)と呼ばれた労働者たちだった。
熱帯の空気は重い。
汗は乾かない。
昼の作業は長く、休憩は短い。
この環境では、食事は楽しみというより、燃料に近い。
早く食べられ、腹にたまり、塩気と脂で身体を動かせるものが必要だった。
そこに目をつけたのが、インド系ムスリムの移民たちだったと言われる。
彼らは、料理を売ったというより、労働の時間を支える仕組みを売った。
なぜ「担ぐ」必要があったのか
当時の行商人たちは、最初から立派な店舗を構えていたわけではない。
資本も土地もない。
客がいる場所に行くほうが合理的だった。
港の周辺には、昼間だけ人が集まる。
夜になれば散る。
固定店舗は、空き時間が増える。
だから店ごと動く。
鍋も米も皿も担ぐ。
客のいる場所へ運ぶ。
このとき、カンダールが必要になる。
棒を肩に乗せ、両端に籠や鍋を吊るす。
片側には米。
もう片側にはカレー。
荷物を左右に分け、バランスで重さを逃がす。
単純だが、熱帯の路上で繰り返されると、これは一種の工学になる。
歩くリズムが崩れると、鍋が揺れ、汁がこぼれる。
重心がずれると、肩が壊れる。
だから担ぎ手は、独特のテンポで進む。
ナシカンダーの起点は、厨房ではなく、歩行だった。
天秤棒が生んだ「料理の形」
担ぐ料理には制約がある。
その制約が、味と構造を決める。
まず、汁気が必要になる。
白米だけでは食べにくい。
早く食べるには、ソースがいる。
次に、温度が必要になる。
移動販売は、衛生と腐敗の問題を抱える。
火を入れ続け、鍋を熱いまま保つことが、保存にもなる。
そして、味は濃くなる。
塩分とスパイスは、保存性を高める。
油は熱を保ち、香りを閉じ込める。
つまりナシカンダーの濃さは、贅沢の結果ではなく、環境への適応の結果として現れた可能性がある。
辛いから辛いのではない。
濃いから濃いのではない。
担いで運ぶという前提が、そうさせた。

労働者の燃料としてのカレー
ナシカンダーが支えたのは、港の労働者の胃袋だったと言われる。
労働者の食事には、条件がある。
安いこと。
速いこと。
腹にたまること。
白米は安い。
だが白米だけでは単調になる。
そこにカレーをかけると、味が増え、油でカロリーが上がる。
肉は贅沢だが、少量でも満足感が出る。
豆や野菜は安くて量が増える。
スパイスは保存にもなる。
皿の上の構成は、労働の都合に合わせて組まれていったように見える。
結果として、ナシカンダーは「食べるカロリー計算」になった。
客は栄養を考えたわけではない。
ただ午後も働けるかどうかが重要だった。
「混ぜる」ことが正義になるまで
ナシカンダーの特徴としてよく語られるのが、複数のソースを混ぜる行為だ。
ここで出てくる言葉が、クア・チャンプル(Kuah Campur)である。
クアはソースや煮汁の意味で使われる。
カレーの汁、煮込みの汁、皿を濡らす液体。
チャンプルは混ぜる。
つまりクア・チャンプルは、単一のカレーをかけるのではなく、複数を混ぜてかける合図になる。
この混合は、味の複雑さを生む。
赤い辛味。
黄色い豆の柔らかさ。
黒い甘さ。
それぞれが単体では強すぎたり、単調だったりする。
だが混ざると、角が落ち、輪郭が増える。
ここで面白いのは、混ぜることが「偶然」ではなく「作法」になっている点だ。
ナシカンダーは、整理された料理ではなく、混合を前提にした料理になっている。
洪水という注文
もう一つ、よく聞く言葉がある。
バンジル(Banjir)。
意味は洪水だ。
ご飯を沈めるほど、たっぷりソースをかける。
見た目は過剰に見える。
だが、ナシカンダーの文脈では、それが完成形になる。
白米の島が消える。
皿は茶色い海になる。
汁だくは、贅沢というより合理に近い。
乾いた米を早く飲み込むには、液体がいる。
味の濃さを均一にするには、量がいる。
洪水は、勢いではなく、機能として成立している。
路上から店舗へ移る時代
やがて時代が進む。
交通量が増え、衛生規制が強まり、路上の行商は難しくなる。
1970年代以降、ナシカンダーは路上から屋根の下へ移っていったと言われる。
コピティアムの軒先。
市場の角。
そして独立店舗。
担ぐ必要がなくなると、天秤棒は消える。
だが、料理の形は残る。
ガラスケースに並ぶ鍋は、かつての籠の中身の再現のようにも見える。
客はその前に立ち、指差しで選ぶ。
そしてソースを混ぜる。
運搬方法は消えても、運搬の論理が、店の構造に沈殿している。

最古の店が残す時間
ペナン最古のナシカンダー店として名前が挙がるのが、ハミーディヤ(Hameediyah)である。
1907年創業とされる。
店の歴史を辿ると、単なる飲食店ではなく、移民と商売の積み重ねが見えてくる。
スパイス貿易から料理へ、という話も聞く。
スパイスが交易品であり、生活必需品であり、保存技術でもあった時代。
その延長線上に、鍋がある。
店に並ぶ料理の色は、派手ではない。
だが、それは港の色に近い。
油と埃と汗の色。
「木の下」という過渡期
行商と店舗の間には、過渡期があったと言われる。
木の下で売る。
日陰がある。
人が集まる。
固定費は少ない。
この形が、バワ・ポコ(Bawah Pokok)と呼ばれるナシカンダーの原型になった、という話もある。
完全な屋台でもない。
完全な店舗でもない。
ただ、そこに鍋があり、米があり、人が集まる。
食事は、都市の隙間に生まれる。
味が濃い理由は、今も残る
現代のナシカンダーは、冷房の効いた場所にもある。
ショッピングモールの中にもある。
チェーン店もある。
だが、味は薄くならない。
油は多い。
ソースは濃い。
それは伝統だから、という説明もできる。
しかし、伝統という言葉は便利すぎる。
むしろ、港湾労働者の燃料として成立した味の設計が、今もそのまま残っている、と考えるほうが自然かもしれない。
ナシカンダーは、食文化というより労働文化の延長にある。
料理名が残す、見えない棒
今、ナシカンダーを食べるとき、天秤棒は見えない。
店員も担いでいない。
客も担いでいない。
それでも料理名の中には、担ぐという動作が残っている。
ナシとカンダール。
皿の上でカレーが混ざり、境界が消える。
その混沌は、偶然ではなく、移動と労働の必然から生まれた形に見える。
ナシカンダーは、食べるときに少し汗をかく。
辛さのせいだけではなく、重さのせいかもしれない。
油のせいだけではなく、歴史のせいかもしれない。
棒は消えた。
だが、料理の中にだけ残った。


