台湾の魯肉飯と雞肉飯についての記録

台北の食堂では、魯肉飯と雞肉飯が同じメニューに並び、二つの肉を合わせた雞魯飯まで注文できる。それでも台湾を代表する料理として外へ出る場面では、二つの茶碗は同じ場所に置かれていない。

台湾で魯肉飯(ルーローハン)と雞肉飯(ジーローハン)を食べると、二つは似た位置にある料理に見える。どちらも茶碗の白飯に少量の肉を載せ、油や汁を染み込ませて食べる。価格帯も近い。同じ食堂に二つが並ぶことも珍しくなく、鶏肉と魯肉を一緒に載せた雞魯飯(ジールーハン)まである。

それなのに、台湾料理全体を眺めると、なぜか雞肉飯の方が少し地味に見える。嘉義へ行けば雞肉飯の店はどこにでもあり、街を代表する料理になっている。それでも台湾そのものを代表する料理として紹介される場面では、魯肉飯の方が前に出ることが多い。

同じ店で売ることができ、一つの茶碗に載せることまでできる二つの飯は、なぜ違う場所に収まったのだろう。


同じ店に、三つの飯が並ぶ

雞肉飯を看板にする店でも、魯肉飯を売っていることがある。台北の強記雞肉飯では、雞肉飯と魯肉飯が同じ飯類に並び、その二つを合わせた雞魯飯もある。同じ組み合わせは、台北の梁記嘉義雞肉飯をはじめ、ほかの店でも見つかる。一つの厨房で二つを並べて売ることに、それほど無理はない。

嘉義の雞肉飯の始まりをめぐる話にも、似たものが見える。噴水雞肉飯の二代目・林昭正によれば、鶏肉がまだ年中行事のときにしか食べられなかったころ、祭祀のときにだけ買う鶏の肉を裂いて白飯に載せ、滷汁をかけたのが初期の形だった。どの滷汁だったのかは、この証言からは分からない。裂いた鶏肉と白飯だけでなく、煮汁を加えて一杯にしていたことは分かる。

今のメニューを見ても、昔の作り方を見ても、雞肉飯と魯肉飯の距離は近い。違いは茶碗の形より、その上に載っているものの方にありそうだ。


魯肉飯を一段掘る

魯肉飯という名前は、台湾の中でも一つの料理を指すわけではない。中北部では、細かくした豚肉を醤油などで煮て白飯にかけたものを魯肉飯と呼ぶことが多い。同じ料理を南部では肉燥飯(ロウザオハン)と呼び、魯肉飯という名前は、大きな豚バラ肉を載せた飯に使うことがある。魯肉飯を肉燥飯と同じものとして扱うと、南部の魯肉飯が抜け落ちる。

さらに広く見ると、醤油や香辛料で食材を煮る「滷」という調理法につながる。豚肉を滷して食べる習慣は、魯肉飯という一杯より広い。細かな豚肉を煮る肉燥(台湾語でバーソー)も、こうした豚肉の食べ方につながっている。

肉燥は白飯だけに使われない。教育部の台湾台語辞典は、肉燥を主に麺や飯に混ぜて食べるものと説明している。台南では、肉燥は肉燥飯のほか、擔仔麵、米糕、碗粿など多くの小吃に現れる。細肉の魯肉飯から飯を外しても、その肉と味は別の料理の中に残る。

鶏肉にも別の食べ方はいくらでもある。ただ、雞肉飯と同じ裂いた鶏肉が、肉燥のように飯や麺、小吃をまたぐ共通の部品として使われている様子は見当たらない。

台湾の魯肉飯についての記録

台湾の食堂で魯肉飯を頼むと、細かく刻んだ肉が出る場所もあれば、角煮のような塊肉が乗る場所もある。同じ漢字の丼が、土地を越えると別の姿を見せる。

世界の片隅でいただきます

肉が高かったころ

豚は細かくして使い、鶏は一羽のまま食べた、という話ではない。雞肉飯そのものが、その反例になっている。

2013年に嘉義市代表の火雞肉飯(フォージーローハン)を作った料理人は、雞肉飯を、鶏を食べたくても節約して食べなければならなかった時代の庶民の食べ方だと説明している。嘉義での聞き取りでも、鶏肉が特別なときの食材だった時代に、少量の肉を裂いて飯に載せたことが語られている。細かく裂いて白飯と合わせれば、少ない鶏肉が何人分もの食事になる。

豚の側にも同じ性質がある。肉燥の起源としては、貧しかった時代に肉屑や脂、豚皮など安い部分を煮たという説明がよく知られている。ただし食文化史家の曹銘宗も、これを推測として紹介している。肉燥の作り方が福建から伝わったとする系譜もあり、台湾で端材から生まれたと決めることはできない。

起源がどちらであっても、細かな豚肉を脂や汁ごと煮れば、少量でも飯や麺へ味を広げられる。豚も鶏も、少ない肉を細かくして広げることはできた。

違いが出たのは、その先だ。鶏肉は白飯に載って雞肉飯という一杯になった。細かく煮た豚肉は肉燥として、飯の外にも出ていった。

台湾の雞肉飯についての記録

台湾で雞肉飯を頼んでも、鶏肉が載っているとは限らない。嘉義では七面鳥が白飯の上に細く裂かれ、台北では鶏胸肉が同じ名前の一杯になっている。

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鶏肉が日常の肉になったあと

この違いを、魯肉飯の方が古いからと説明することは難しい。曹銘宗らによれば、清代や日本統治期の閩南語辞典には、醤油で豚肉を煮る「鹵肉」という語はあるが、「鹵肉飯」は見当たらない。魯肉飯という飯料理は、戦後に生まれた可能性がある。嘉義の噴水雞肉飯も、1949年の創業とされる。二つの茶碗の年齢は、大きく変わらないのかもしれない。

先にあったとすれば、茶碗ではなく、そこに載る部品の方だ。台南の度小月では、1895年の創業時から、漳州出身の創業者が故郷で覚えた肉燥を擔仔麵に使っていたと伝えられる。伝承に従えば、細かく煮た豚肉を飯ではない料理に使う形は、雞肉飯より前からあったことになる。

養鶏が企業化されたのは1960年代以降で、鶏肉はそこから安価な日常の肉になっていく。2024年の台湾の1人当たり年間供給量は、家禽肉が43.13キロ、豚肉が34.96キロだった。摂取量ではなく供給量の数字だが、魯肉飯の存在感を「台湾では豚の方が多く出回っているから」と説明することはできない。

鶏肉が安くなっても、すでに飯や麺、小吃へ入り込んでいた肉燥が消える理由はない。豚肉でできていた使い方を、あとから鶏肉へ置き換える必要もなかったのかもしれない。雞肉飯は、鶏肉が安くなる前から一杯の料理としてあった。嘉義ではそれが火雞、つまり七面鳥と結びつき、街を代表する料理になった。


2013年、嘉義の火雞肉飯が1位になった

2013年、農糧署は台湾の21県市が推薦した56の飯料理を集め、ネット投票を行った。各県市が地元を代表する飯として出した品で、1位は嘉義市の火雞肉飯だった。

魯肉飯との人気投票ではない。この結果から、雞肉飯と魯肉飯の優劣は読めない。分かるのは、嘉義市を代表する飯として出された火雞肉飯が、全国の投票で最上位まで行ったことだ。嘉義の外でも、「嘉義雞肉飯」を店名に掲げる店は台北や桃園に見つかる。

嘉義の火雞肉飯についての記録

嘉義市には火雞を育てる養殖場がない。それでも市内には、コンビニ四社の店舗数を合わせたより多くの雞肉飯店があり、その多くが周辺から運ばれた七面鳥を使っている。

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魯肉飯が飛行機に載った

その3年前の2010年、鬍鬚張の魯肉飯は中華航空の米国西海岸路線の機内食に採用された。機内食になったことが、そのまま台湾を代表する料理であることを意味するわけではない。台湾から海外へ向かう機内で出す一品に、魯肉飯が選ばれた。

2017年からは、経済部商業司が「臺灣滷肉飯節」を始め、魯肉飯を「臺灣國飯」として打ち出した。海外からの旅行者への発信も事業の目的に含まれ、同じ催しは2019年や2021年にも開かれている。

2013年に嘉義市が差し出した飯は、火雞肉飯だった。台湾という単位で外へ差し出される場面では、魯肉飯が現れた。主催者も目的も異なる二つの事例だ。

台湾・空を飛んだ魯肉飯についての記録

魯肉飯が置かれているのは、湿った路地の丸椅子や食堂の小さな碗だけではない。国際線の機内食として、乾いた客室のトレーにも同じ茶色い煮汁が載っている。

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鬍鬚張の社内で出た二つの声

同じ違いは、一つの会社の中にも現れている。1990年代、魯肉飯を看板にする鬍鬚張は、豚肉を使わない新商品の一つとして雞肉飯を試作した。試食の段階で、社内から反対の声が出た。

一つは、嘉義雞肉飯とは比べものにならない、というものだった。もう一つは、うちは魯肉飯を売っているのに、なぜ雞肉飯を売るのか、というものだった。

二つの声は、向いている方向が違う。雞肉飯を評価するとき、比較の相手は嘉義だった。魯肉飯は、どこかの地域と比べる前に、鬍鬚張という店の看板そのものだった。

鬍鬚張はその後、1997年の口蹄疫をきっかけに雞肉飯を全店で売り出し、現在は同じ店で両方を食べられる。厨房では共存できた。それでも、二つの料理を考えるとき、人の頭の中にはすでに別の場所が用意されていたように見える。

髭須張魯肉飯(ひげ張)についての記録|台湾のチェーン店

台北の街角では、屋台なら30元ほどで食べられる魯肉飯が、黄色い看板の店で60元前後の丼になっている。昼どき、その倍近い一杯を選ぶのは観光客だけではなく、スーツ姿の会社員や近所の家族連れだ。

世界の片隅でいただきます

同じ茶碗の隣から

最初のメニューへ戻ると、雞肉飯と魯肉飯はやはりよく似ている。同じ店で売ることができ、雞魯飯にすれば一つの茶碗に載る。生まれた時代も、大きくは離れていないのかもしれない。どちらも、少ない肉を白飯と一緒に食べる庶民の料理として説明できる。

一段下を辿ると、景色が変わる。魯肉飯の側には、魯肉飯という名前が広がる前から、豚肉を滷して食べ、細かな肉燥を麺にも使う系譜が見える。その味は一つの茶碗に閉じず、台南の小吃を見れば、今もあちこちに入っている。雞肉飯でも、裂いた鶏肉が同じように少ない肉で飯を支えた。ただ、肉燥のように飯や麺、小吃をまたぐ共通の部品になるより、雞肉飯という一杯の料理として強く残り、やがて嘉義という街と結びついた。

雞肉飯が弱く、魯肉飯が強いという話ではない。一方は嘉義を代表する飯として全国1位になり、もう一方は飛行機に載り、「臺灣國飯」と呼ばれた。

メニューでは隣同士でも、二つはいつの間にか、違う名前を背負う料理になっていたのだろう。

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