―― 台湾料理の漢字は、温度を語る ――
台湾の食堂でメニューを眺めていると、
同じような具材なのに、名前の雰囲気がまるで違う料理に出会う。
「炒青菜」と「葱爆牛肉」。
どちらもフライパンで作るはずなのに、後者だけが妙に物騒だ。
爆(バオ)。
少し大げさな修辞に見えるが、厨房を覗けば誇張ではないとわかる。
鍋の中で油が跳ね、火が立ち上がり、
一瞬だけ空気の密度が変わる。
この字は、調理法そのものを正確に記述している。
料理名は仕様書である
中華圏の料理名は、感情ではなく工程を書く。
炒と爆は、その代表例だ。
炒(チャオ)は、中火から強火で具材を混ぜ続ける技法。
油と調味料が全体に回り、
食材同士がゆっくり馴染んでいく。
多少の水分やソースが残り、
味は一体化する。
蛋炒飯、炒青菜。
家庭的で、安定した輪郭を持つ。
一方で爆(バオ)は、別の世界に属する。
極限まで熱した鍋に、
大量の油と食材を一気に入れる。
加熱は数秒から十数秒。
水分が出る前に、表面だけを焼き固める。
これは混ぜる料理ではなく、
一瞬で決める料理だ。
葱爆牛肉という設計
なぜ「葱爆牛肉」は炒ではなく爆なのか。
理由は、ネギと肉の役割分担にある。
ネギは薬味ではない。
高温の油に投下された瞬間、
内部の水分が一気に気化し、
香りだけを油に残す。
ネギはここで、香りを起爆させる装置になる。
牛肉も同様だ。
炒の火力では肉汁が流れ出し、
最終的には煮込みに近づいてしまう。
爆の温度なら、
表面のタンパク質が即座に凝固し、
内部の水分を閉じ込める。
外は強く、中は柔らかい。
この極端なコントラストは、
爆という技法でしか生まれない。
鍋の気配という物理現象
爆の料理から立ち上る、
少し焦げたような独特の香りがある。
広東語では鑊気(Wok Hei)と呼ばれる。
これは精神論ではなく、物理だ。
200度を超える火力で、
油とタンパク質が瞬間的に反応することで生まれる。
家庭のコンロでは再現できないのは、
技術以前に、
投入できる熱量が違うからだ。
業務用コンロの火力が、
料理の成否を分けている。
爆には賞味期限がある
爆の料理は、時間と戦っている。
鍋から離れた瞬間から、
油は冷え、重さが戻り始める。
写真を撮るなら数秒。
湯気が残っているうちに口へ運ぶ。
それが、
命がけで鍋を振った料理人への、
最低限の礼儀になる。
漢字を読むと、料理が変わる
台湾料理のメニューで、
次に漢字を見かけたら、
一文字だけ意識してみてほしい。
炒と書いてあれば、
味が馴染む時間を楽しむ料理。
爆と書いてあれば、
火力と技術が交差する一瞬の芸術。
漢字の違いは、
数百度の温度差を含んでいる。
それに気づくと、
同じ一皿でも、見え方が少し変わる。
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