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台湾・度小月の担仔麺についての記録

台南の中心部を歩いていると、
古い建物が連なる通りの一角に、赤い提灯が下がっている。

大きく主張するわけではない。
だが、他の店より少しだけ背筋が伸びているように見える。

白壁と木製の扉。
入口は広く、通りから中の様子がそのまま覗ける。

看板には、度小月とある。
観光地でよく見かける名前だが、
外観そのものは、必要以上に飾られていない。

人の流れは絶えない。
だが、呼び込みはない。

店は、ここに在り続けている、という状態だけを保っている。


ステージとしての竈

扉をくぐると、
最初に目に入るのはレジではない。

低い位置に据えられた、古めかしい竈だ。

その前に、
一人の職人が低い椅子に座っている。

湯気の中で、
黙々と麺を茹で続けている。

店内は空調が効き、照明も整っている。
それでも、この一角だけ、時間の流れが違って見える。

調理場というより、展示に近い。
ここでは、まず「やり方」が提示されている。


1895年、度小月の始まり

1895年。
日本統治が始まる直前の時代。

創業者の洪芋頭は、台南の漁師だった。

台風の多い季節、
海に出られない月があった。

その「小月」を、どうやり過ごすか。
それが、この営みの出発点だった。

担仔棒を担ぎ、
街を歩きながら麺を売る。

「度小月」という言葉は、
屋号ではなく、行動計画に近かった。

閑散期を、収益に変える。
そのための、具体的な方法だった。


ストリートから店舗へ

多くの担仔麺は、
屋台のまま消えたか、
屋台のまま留まった。

度小月は、店舗を持つことを選んだ。

天候に左右されない。
座って食べられる。

それは、
味とは別の安定性を生んだ。

赤い提灯に「擔仔麵」と書く。
その表記を繰り返し使う。

結果として、
屋台の集合体から、
指名される存在へと変わっていった。


壺の中のブラックボックス

担仔麺の味を決めるのは、
スープよりも、上に乗る肉燥だ。

度小月の肉燥は、
創業以来の配合で作られている。

台湾産の赤ネギ。
豚の後ろ足肉。

継ぎ足されてきたタレは、
年数そのものを含んでいる。

この肉燥は、
缶詰としても販売されている。

味は、
知的財産として扱われている。

再現はできても、
同じ履歴は持てない。


観光地化という洗練

価格が高い、という声はある。
観光客向けだ、という評価もある。

確かに、
路上で食べる一杯とは違う。

だが、
清潔な器、安定したサービス、
多言語対応。

それらは、
料理を国外へ運ぶための整備でもあった。

ローカルな食事を、
来客用の体験に変換する。

その工程を、
この店は引き受けてきた。


止まらない灯火

竈の前の職人は、
今日も低い椅子に座っている。

その姿は、
天秤棒を担いでいた頃と、
完全に切り離されてはいない。

「小月を度る」ために始まった営みは、
形を変えながら続いている。

麺は、
いまも同じ位置で湯気を上げている。


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