―― 日本の技術と言われているけど、背景は少し複雑 ――
台南へ向かう途中、高鐵のホームで列車を待っていた。
白とオレンジの車両が風を切って通過していくのを眺めると、この高速鉄道がどんな経緯で作られたのかを思い返したくなる。
見た目は日本の新幹線だが、背景にはもう少し複雑な事情がある。
外見だけでは分からない構造
台湾新幹線の車両は700系を基準にした700T型で、鼻先の形状や窓の比率もよく似ている。
しかし内部のシステムには欧州方式が混ざっている。
軌道や分岐器の一部はユーロ規格で、運行管理にも欧州の思想が残る。
実は、工事の初期段階では欧州高速鉄道の採用が有力だった。
日本方式へ切り替えられたのは後になってからで、その間に積み上げられた設計の不整合が、最終的に日欧の混在を生んだ。
ホームに立っているだけでは見えないが、この鉄道は最初から一つの方針で作られたわけではない。
地震が判断を変えた
潮目が変わったのは1999年のことだった。
台湾中部を大地震が襲い、橋や道路が崩れた。
同じころ、ドイツで高速鉄道ICEの脱線事故も起きていた。
地震の多い島で運行するなら、安全性の実績が重視される。
阪神・淡路大震災でも致命的な脱線を起こさなかった日本方式は、現場に説得力を持っていた。
その結果、車両や制御の中心は日本方式になり、すでに進んでいた欧州規格の構造物に合わせる形で調整が進められた。
ひとつの鉄道に二つの思想が縫い合わされ、現在の姿になった。
郊外に置かれた駅
もう一つの特徴は駅の位置だ。
桃園、新竹、台中、嘉義、台南。
どの駅も市街地から距離がある。
理由は単純で、土地の取得コストを抑えるためだったと言われている。
さらに駅周辺を新しい副都心として開発し、その収益で建設費を回収する構想もあった。
ただ、計画通りにはいかない場所も多い。
開業から長い年月が経っても、駅前の広い土地がそのまま残っている区間がある。
旧市街から切り離したことで、都市が二つに割れたまま変化できずにいる地域もある。
ホームから眺める広い空き地は、単なる風景以上の意味を持っている。
切符は経費精算の証憑
改札を出るとき、切符が手元に戻ってくるのも台湾らしいところだと思う。
日本の新幹線では吸い込まれて終わるが、台湾では返却される。
あれはそのまま出張の経費精算に使うための証憑になると聞いた。
紙の扱いが残る国らしい仕組みで、少しだけ時代の層を感じる。
日常に溶け込んだあとで
2007年の開業から、台湾内の移動時間は大きく縮まった。
台北から高雄まで二時間余り。
今では出張や通学に使う人も多い。
列車が近づくと、ホームに風が走る。
日本の車両が台湾の郊外を走るというだけの話に見えるが、その裏側には政治判断、震災の記憶、都市計画の思惑が重なっている。
座席に腰を落ち着けると、車窓に整地された土地が広がった。
高速鉄道の歴史を考えても、旅は特別に変わるわけではない。
目的地へ静かに進むだけだった。
開業: 2007年1月5日(試験営業開始)
方式: BOT(Build-Operate-Transfer)方式。現在は政府主導の再建を経て運営。
車両: 700T型(川崎重工・日本車輌・日立製作所)
最高速度: 300km/h
車内チャイムや座席のピッチなどに、日本の新幹線の名残と台湾独自の仕様が混在する。
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