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台湾のタピオカミルクティーの歴史についての記録

「バブルティー」のバブルは、黒い粒のことだと思われがちだ。
だが本来、この言葉が指していたのはタピオカではない。
シェイカーで急冷した茶液の表面に立つ、あの細かな泡――泡沫(パオモ)だった。

つまり、物語の始まりにあったのは「噛める飲み物」ではなく、
「お茶を振る」という、どこか酒場的な所作だった。


冷たいお茶は、反逆だった

1980年代初頭まで、台湾でお茶は基本的に熱いものだった。
そこに異物として持ち込まれたのが「冷やす」という発想である。

台中の春水堂で行われた実験は、きわめて単純だった。
紅茶に氷とシロップを入れ、カクテルシェイカーで振る。
すると渋みは丸まり、口当たりは驚くほど柔らかくなる。

泡が立ち、グラスは冷える。
それだけで、茶は「大人の飲み物」から「若者の飲み物」へと転位した。

最初の革命は、味ではなく温度だった。


粉圓は、本来「飲まれる」ものではなかった

次に投下されたのが、粉圓(フンユェン)だ。
サツマイモやキャッサバ由来のデンプン団子。
市場では、かき氷に乗せたり、甘いスープとして椀で食べられていた。

それを誰かが、冷たいミルクティーの中に落とした。
会議中の気まぐれだったとも、実験精神だったとも言われている。

結果は明白だった。
液体を飲みながら、同時に噛む。
台湾人が愛する「Q」と呼ばれる弾力が、飲み物に実装された瞬間である。

ここで初めて、
「飲む」と「食べる」の境界が壊れた。


元祖を決めなかった、という選択

この発明を巡っては、当然のように「誰が最初か」という争いが起きた。
「泡沫紅茶(シェイクティー)」の春水堂(台中)。 「白タピオカ」の翰林茶館(台南)。
裁判は10年以上続く。

だが2019年、裁判所が出した結論は拍子抜けするほど静かだった。
「争う必要はない」。

タピオカミルクティーは、特定の企業のものではない。
台湾社会の中で自然発生した共有財産だ、という判断だった。

特許がない。
だから誰でも作れた。
だから世界中に広がった。

これは結果的に、
オープンソース・ドリンクの勝利だった。


極太ストローという、最後の部品

忘れてはならないのが、直径12ミリを超える極太ストローの存在だ。
液体と固体を、同時に、適切な比率で口へ運ぶためのインターフェース。

これがなければ、タピオカは底に沈む異物でしかなかった。
飲み物の革命は、プラスチックの筒一本で完成したとも言える。


噛めるお茶という到達点

タピオカミルクティーは、もはや単なる飲み物ではない。
それは、流動食へと進化したデザートだ。

シェイカーが温度を壊し、
デンプンが食感を持ち込み、
ストローが両者を強引に統合した。

カップの底に沈む黒い粒を吸い上げるたび、
私たちは1980年代の台湾で起きた、
静かで大胆な作法破壊の続きを、いまも噛みしめている。

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