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台湾の夜市にある炒飯屋台は当たり説を唱えてみる

台湾の夜市を歩いていると、炒飯の屋台がときどき視界に入る。
夜市の主役は、タピオカ、鶏排、サイコロステーキのような効率化された商材だ。
半製品とマニュアルで回り、誰が扱っても一定の味になる。

その中に、あえて炒飯で挑む店がある。
静かに観察していくと、そこには一つの仮説が浮かぶ。
夜市の炒飯屋は、生存者バイアスそのものである。

夜市は「効率」の戦場

夜市は、効率の悪い店が生き残れない環境だ。
調理が早く、作業が単純で、商品が均質であることが強い。
だから、唐揚げもジュースも、ステーキもチェーン化しやすい。

一方、炒飯はその逆をいく。
仕込みが効かず、注文ごとに火力と油を調整し、鍋を振る。
技術習得には時間がかかり、
店主の腕次第で味が大きく揺れる。

夜市という「回転こそ正義」の場所において、炒飯は本質的に不向きな商材だ。

自然淘汰のフィルター

では、技術のない炒飯屋が夜市に出たらどうなるか。
答えはわかりやすい。生き残れない。

隣には、誰が揚げても美味しい唐揚げがある。
香りだけで人を引き寄せるステーキもある。
甘くて飲みやすいドリンクもある。

わざわざ時間がかかり、外れる可能性の高い炒飯を選ぶ理由はない。
結果、炒飯屋は実力不足であればすぐに客足が途切れ、
自然淘汰のラインから落ちていく。

夜市は、それくらい厳しい。

残っている店は「本物」

だからこそ、今も夜市で鍋を振り続けている炒飯屋は、
その淘汰をくぐり抜けた存在だ。

効率の悪さ、技術依存の高さというハンデを抱えながら、
「味だけ」で客を取り戻し、
夜市というフランチャイズの海を泳ぎ切ってきた。

街場の食堂には、家賃や立地の事情で長く続く店もある。
味とは関係ない理由で生き延びることがある。
しかし、夜市にはその余地がほとんどない。
夜市にゾンビ企業は存在しない。

そこにいるのは、
淘汰の網目をすり抜けたちいさなエリートたちだ。

夜風の中で鍋を振る人へ

だから私は、夜市で「炒飯」の文字を見つけると、
少しだけ敬意を持って注文する。

フランチャイズの看板に挟まれながら、
自分の腕一本だけを頼りに立っている店だ。

夜風に油の香りが混ざり、鉄鍋が静かに火を噴く。
その湯気の向こうに、夜市を生き抜いた理由が揺れている。

■関連記事:併せて読むとより理解が深まる。

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