―― バンコクで出会った「進化の分岐点」 ――
プロローグ:粘り気という名の憂鬱
台湾の夜市で、いつもその「曖昧さ」を憂いている。
鉄板の上で、かすかに震える蚵仔煎(オアチェン)。
カリカリでもなく、トロトロでもなく。
ただ、台湾特有の「Q」という弾力の中に、すべてが閉じ込められている。
だが、もし歴史の歯車がどこかで違う位置に噛み合っていたら?
もし鄭成功が、台南の干潟を前にサツマイモ粉ではなく別の何かを選んでいたら?
バンコク・ヤワラート。
炭火の煙に包まれた路地裏で、ふと確信する。
蚵仔煎は、実は毎晩、海の向こうのある風景を夢見ているのではないかと。
それは「進化の分岐点」がもし別の方向を向いていたら、という夢だ。
ヤワラートの「ナイモン」にある二つの極北
バンコクの名店『ナイモンホイトート(Nai Mong Hoi Thod)』。
ここには、蚵仔煎が辿らなかった――しかし可能性としては存在し得た――二つの可能性が並んでいる。
その1:完全なるカリカリ(ホイトート)
油が跳ね、ヘラが鉄板を叩く音が響く。
生地は徹底的に乾燥し、まるでスナック菓子のように砕ける。
ここには迷いがない。
「粘り気」などという半端な性質に悩む必要はない。
ただ、軽快な音と香ばしさだけがある。
その2:完全なるドロドロ(オースワン)
こちらは逆方向への振り切りだ。
粉の比率を極端に高め、具材と液体の境界が消えるほどの粘度に仕上げる。
飲み物のような、食べ物のような、境界が曖昧なひと皿。
カリカリへの未練を断ち切った潔さがある。
ヤワラートには、蚵仔煎がもし別の土地で生まれていたらこうなったかもしれない、という二つの進化形が、当たり前のように並んでいる。
中庸という名のサバイバル
一方で、台湾の蚵仔煎は違う。
カリカリにも、ドロドロにも振り切れなかった。
いや、振り切る必要がなかったのかもしれない。
1661年の包囲戦――。
もともと蚵仔煎に求められたのは「快楽」ではなく「腹持ち」だった。
兵士を満たすための、あの分厚いサツマイモ粉の層。
タイのホイトートが「美食の進化」へ向かい、
オースワンが「料理の自由」へ向かったとするなら、
蚵仔煎は「生存の確保」へ向かったのだ。
その結果として、彼は中庸で、重く、湿度を帯びた存在になった。
どちらにも振れないのではなく、どちらにも振れなかった時代を抱えている。
エピローグ:目覚めれば台北
台北に戻り、夜市のプラスチック椅子に沈み込む。
皿の上では、いつものように、中庸の粘り気をまとった蚵仔煎が揺れている。
ヤワラートで見た二つの可能性は、ここにはない。
代わりにあるのは、台湾の湿気と夜風と、歴史の重さだ。
蚵仔煎は、ひょっとするとヤワラートの夢を見るのかもしれない。
もっと軽やかに、もっと自由に焼かれる未来を。
しかし目が覚めれば、彼はいつもの鉄板の上にいる。
粉の層をまとい、甘いタレを受け止め、台湾の夜市という舞台に立ち続ける。
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