―― 「魯肉飯」という漢字は信用してはいけない ――
台湾の食堂に入ると、似た漢字が三つ並んでいることがある。
魯肉飯(ルーローハン)。
肉燥飯(ロウザオファン)。
控肉飯(コンロウファン)。
どれも「肉が乗ったご飯」に見える。
ガイドブックを開けば、それぞれの説明も一応は載っている。
魯肉飯は細かく刻んだ豚肉。
肉燥飯も似たようなそぼろ。
控肉飯は角煮。
概ね正しい。
だが、この辞書をそのまま信じて台湾を縦断すると、事故が起きる。
台湾には、言葉の意味そのものを書き換えてしまう境界線がある。
魯肉飯という台湾の日常
台湾の国民食、魯肉飯(ルーローハン)。
細かく刻んだ豚肉を、醤油を基調とした甘辛いタレで煮込み、
白いご飯の上にかける。
構成は単純だが、店ごとの差は小さくない。
脂身の比率、甘みの強さ、八角の気配。
それぞれがわずかに異なる。
それでも、多くの人が同じ料理を思い浮かべることができる。
丼は小ぶりで、価格は控えめ。
単品で終える者もいれば、
青菜やスープを添えて一食に整える者もいる。
台湾において魯肉飯は、
特別な料理というより、日常を示すものだ。

見えない国境、濁水渓
台湾中部を横断する長い川がある。
濁水渓(だくすいけい)だ。
地図上では単なる河川だが、
食文化においては、ほとんど国境のように機能している。
台湾には「北鹹南甜」という言葉がある。
北は塩辛く、南は甘い。
この川を境に、味付けが変わる。
そして、それに伴って料理の呼び名も変わる。
台北で通用していた言葉が、
台南では通用しなくなる。
濁水渓を越えた瞬間、
それまで持っていた辞書は静かに無効化される。

南下する旅人の小さな悲劇
北部で暮らしていると、
魯肉飯(ルーローハン)とは、細かく刻んだ豚肉のご飯だと自然に理解している。
軽食。
昼の合間に食べるもの。
胃に重くはない。
だが、その常識を携えたまま南へ下ると、
思わぬ形で裏切られる。
台南や高雄で魯肉飯を頼むと、
丼の上に大きな角煮が鎮座していることがある。
午後の予定は、少し狂う。
逆もある。
南部の人が北で魯肉飯を頼む。
ご馳走を期待していたら、
あっさりしたそぼろ肉が出てくる。
拍子抜けする。
南部の人にとって、
「魯」という字は、立派な塊肉を煮込む行為に結びついているのかもしれない。
だから魯肉飯とは、角煮なのだ。
名前ではなく、肉を見る
混乱を避ける方法は単純だ。
名前を信じない。
見るべきなのは二つだけ。
肉の形。
そして、自分が濁水渓の北にいるのか、南にいるのか。
そぼろ(細切れ肉)が食べたいとき
川の北側では、
魯肉飯 を頼む。
川の南側では、
肉燥飯 を頼む。
濁水渓を越えると、
そぼろ肉は名前を変える。
これが最重要ポイントになる。

角煮(塊肉)が食べたいとき
川の北側では、
控肉飯 を頼む。
川の南側では、
魯肉飯 を頼む。
同じ漢字でも、
乗っている肉は違う。

甘さという、もう一つの境界線
濁水渓を越えると、
もう一つ変わるものがある。
甘さだ。
北部の魯肉飯は、
醤油の塩気と香辛料のコクが前に出る。
南部の肉燥飯、あるいは魯肉飯は、
砂糖の甘みがはっきりと感じられる。
どちらが正しいという話ではない。
単に文化が違う。
自分が川のどちら側に立っているかを意識することは、
丼の名前を当てるためだけではなく、
口に入る味を想像するための作法でもある。
川の流れと、丼の上の真実
漢字は、ときどき嘘をつく。
だが、丼の上の肉は嘘をつかない。
ガイドブックを見る前に、
まず地図を見る。
自分はいま、濁水渓の北にいるのか。
それとも南にいるのか。
川を越えれば、
言葉も、味も、意味も変わる。
そのずれに戸惑いながら、
少し面白がって食べる。
それもまた、
台湾を旅するという行為の一部なのだと思われる。




