―― 歴史が作った紅焼と清燉 ――

台湾の街に入ると、独特の匂いがする。
八角の甘さ、醤油の焦げた香り、そして牛脂の重たい気配。
それは屋台の前だけに漂っているのではない。
住宅街の食堂の入口にも、昼の市場の裏手にも、夜の交差点の隅にもある。
その匂いの中心に、牛肉麺がいる。
台湾では、牛肉麺は特別な料理として語られることが多い。
同時に、あまりにも日常の中に溶けていて、説明されないまま存在していることも多い。
この料理は、見た目は麺の入ったスープだ。
だが中身は、スープの色、肉の部位、麺の太さ、卓上の調味料によって、いくつもの別の料理に分岐していく。
同じ看板の下で、複数の世界が並走している。
牛肉麺は、台湾の街にある「煮込みのインフラ」のようにも見える。
鍋があり、火があり、客が来る。
そこに歴史が沈殿している。
社会の変化が生んだ料理
台湾で牛を食べることは、長い間、当たり前ではなかった。
牛は農耕の労働力であり、生活を支える存在だった。
肉として扱うことには、心理的な抵抗があったと言われる。
その空気が変わっていくのは、戦後の社会が動いた後だ。
1949年以降、中国大陸から多くの人々が台湾へ渡ってきた。
外省人と呼ばれる彼らは、軍人や公務員として各地に配置され、眷村と呼ばれる居住区を形成した。
彼らが持ち込んだのは、料理そのものというより、料理の「構造」だった。
豆瓣醤の辛味、醤油の濃さ、香辛料の厚み。
そして、肉を煮込んで保存し、味を重ねていく感覚。
もう一つ、見落とされがちな要素がある。
小麦粉だ。
戦後の台湾では、米国の援助政策によって小麦粉が流通した。
米の島に、麺の材料が大量に入ってくる。
小麦粉があれば、麺が打てる。
麺が打てれば、スープを受け止める器ができる。
外省人の望郷の味と、小麦粉という現実の材料が、同じ鍋の上で出会った。
牛肉麺は、その偶然の上に立っている。
つまりこの料理は、誰かの天才的な発明というより、時代の条件が揃った結果として生まれたものに見える。
歴史の必然というより、生活の都合の集積だ。
茶色いスープと透明なスープ
台湾の牛肉麺を理解しようとするとき、最初に現れる分岐がある。
スープの色だ。
茶色いスープと、透明なスープ。
店のメニューには、紅焼と清燉という文字が並ぶことが多い。
紅焼(ホンシャオ)は、醤油と豆瓣醤を軸にした濃いスープだ。
色は茶色く、表面に油が浮く。
香辛料の層が厚く、八角や桂皮のような甘い香りが残ることもある。
清燉(チンドゥン)は、透明なスープだ。
牛骨の出汁を塩で整え、香味野菜で輪郭を作る。
見た目は軽いが、香りの密度がある。
肉の匂いも、誤魔化されずにそのまま出る。
同じ牛肉麺でも、この二つは別の料理として扱った方が早い。
台湾の食堂では、同じ店で両方を出すことも多い。
客はその日の気分で選ぶ。
今日は赤、明日は白、という使い分けが自然に行われている。
ここで面白いのは、台湾の牛肉麺が「正解」を一つに決めないことだ。
濃いものと薄いものが並列で存在し、どちらも日常として成立している。
番茄という第三勢力
近年、もう一つの系統が目立つようになった。
番茄(ファンチエ)だ。
トマトを入れた牛肉麺である。
紅焼が持つ油の厚みと、清燉が持つ透明感のどちらにも属しきらない。
トマトの酸味が、牛脂の重さを切り、後味を軽くする。
それでいて、旨味が増えるので、薄くはならない。
番茄は「新しい味」というより、現代の街の事情に合った味に見える。
濃厚さは欲しいが、重すぎるのは避けたい。
そういう気分を、酸味が処理してくれる。
若い世代の店では、紅焼と番茄を混ぜたようなハイブリッドも見かける。
茶色いスープに赤い酸味が入り、香辛料とトマトが同居する。
牛肉麺の世界は、固定されていない。
近年の番茄牛肉麺の定着には、
台北國際牛肉麵節(台北国際ビーフヌードルフェスティバル)の影響を指摘する声もある。
紅焼と清燉だけでは差がつきにくい場で、
トマトやハーブのような変化が押し出され、
街の側にも選択肢が増えていったように見える。

汁なしという別系統
牛肉麺には、スープがあるものだけではなく、汁なしもある。
拌麺(バンミェン)と呼ばれる。
スープを張らず、底に濃いタレを沈め、麺と肉を混ぜて食べる。
店によってはスープが別添えで付く。
麺を食べながら、時々スープを飲む。
汁なしは、単なる軽量版ではない。
スープの重さを外し、麺の存在感を前に出す構造になる。
牛肉麺の派生形でありながら、台湾では独立したジャンルとして扱われているように見える。
スープを飲む料理ではなく、麺を噛む料理になる。
その日の胃袋に合わせて、選択肢が増える。
主役の牛肉は塊で出てくる
台湾の牛肉麺を見ていて、日本のラーメンと最も違うと感じる部分がある。
肉の扱いだ。
薄いチャーシューのようなものではない。
ゴロっとした塊が乗る。
肉はスープの飾りではなく、構造の中心に置かれている。
よく使われるのは、牛のスネ肉や腱の周辺だ。
腱子心と呼ばれる部位が定番として出てくる。
赤身だけでなく、筋(スジ)が残る。
煮込まれて、半透明のゼラチン質になる部分がある。
この料理は、ステーキのように柔らかさだけを追うものではない。
赤身の崩れ方と、筋の粘りが同居している。
噛んでいると、肉がほどけ、筋が残り、最後に口の中でまとまる。
台湾では半筋半肉という頼み方もある。
肉と筋のハーフ&ハーフだ。
赤身の食感と、筋の粘度を同時に取る。
牛肉麺の肉は、単なるタンパク質ではなく、食感の設計でもある。
麺は選べることが多い
台湾の牛肉麺屋に入ると、注文の途中で聞かれることがある。
麺、どれにする?
メニューに書いていないこともある。
だが店員は当然のように聞いてくる。
客も当然のように答える。
刀削麺(ダオシャオミェン)、
家常麺(寛麺)、
拉麺(ラーミェン)、
細麺(シーミェン)、
冬粉(ドンフェン)。
麺の太さは、好みの問題に見える。
だが、実際にはスープの設計に関わる。
スープをどう持ち上げるか。
どこで噛ませるか。
どれくらいQを感じさせるか。
麺は、味覚のハンドルだ。

酸菜という句読点
牛肉麺の卓上には、調味料が並ぶ。
その中で、酸菜(スァンツァイ)は特別な位置にある。
高菜の古漬けだ。
発酵の匂いと、酸味と、塩味がある。
シャキシャキした食感も残る。
丼が運ばれてきたら、まずそのまま一口食べる。
その後、酸菜を入れる。
後半に大量投入する人もいる。
味が伸びる。
酸味が加わり、油が軽くなり、スープが別の段階に移る。
酸菜は薬味というより、構造のパーツだ。
飽きさせないための機能として置かれている。
牛肉麺は、酸菜を入れて完成する料理として運用されている。
辣牛油とニンニクの荒さ
辣牛油(ラーニョウヨウ)は、牛脂ベースの辛味ペーストだ。
溶かすと一気に辛味とコクが跳ね上がる。
スープが別物になる。
夜遅くまでやっている店ほど、これが強い印象がある。
ニンニクを出す店もある。
皮付きのままかじる。
スープの香辛料と、ニンニクの生の匂いがぶつかる。
荒いが、街の深夜には馴染む。
台湾の牛肉麺は、店が完成品を提示するというより、客が最後に調整する余地を残している。
その余地が、日常の中で繰り返されている。
牛肉麺とは
ここまで見てくると、牛肉麺は一つの料理名でありながら、実際には複数の料理の束になっている。
スープの色があり、肉の部位があり、麺の太さがあり、卓上の調味料がある。
それらが固定されず、客側に選択が残されている。
台湾の食堂では、その構造が自然に運用されている。
牛肉麺は、歴史の偶然から生まれた。
外省人の記憶と、小麦粉の流通と、牛肉の煮込みが重なった。
そこから広がり、街のあちこちで煮込まれ続けている。
それは国民食と言われることもある。
同時に、あまりにも生活の中にあるため、説明されずに存在していることもある。
丼の中にあるのは、牛肉と麺とスープだ。
その外側には、選択肢と習慣と、街の匂いがある。
牛肉麺は、その全部を含んだ料理として残っている。




