―― 重力に従う脂と、一本の楊枝 ――
台湾の昼は、積み上げられた弁当箱の壁から始まる。
薄い木や紙でできた箱。
蓋を留めるのは、テープではなく一本の輪ゴム。
列に並び、メインを一つ告げ、ガラスケース越しに副菜を三つ選ぶ。
言葉が通じなくても、指差しだけで成立するこの流れは、台湾全土で共通している。
迷ったとき、人は揚げ物を選ぶ。
排骨、雞腿、雞排。
だが、毎日その刺激を受け止め続けられるわけではない。
咀嚼を拒否する日
ある日、ふと気づく。
今日は、歯を使いたくない。
噛み砕く音も、衣の抵抗も、必要ない。
欲しいのは、
温かく、柔らかく、
脂が重力に従って崩れていくようなものだ。
そんな日に選ぶのが、炕肉飯(コンロウハン)である。
炕肉飯は、弁当箱の中で唯一、
「固体」と「液体」の境界線上に存在する料理だ。
三層のグラデーション
炕肉は、三層肉(バラ肉)から切り出される。
断面を見ると、構造は明確だ。
上層:皮
ゼラチン質の弾力。歯を押し返すが、抵抗は弱い。
中層:脂
口に入れた瞬間、温度とともに溶ける甘み。
下層:赤身
長時間の煮込みで、繊維がほどけ、滷汁を吸い込んでいる。
この三層を、垂直に一度に齧る。
それで完成する料理である。
切り分けてはいけない。
これは分解して味わうものではなく、
重ねたまま崩すための肉だ。
「楊枝」という構造補強
多くの炕肉には、中央に一本の楊枝が刺さっている。
食べ進めている途中で、
「あ、あった」と気づいて抜くことが多い。
これは飾りではない。
長時間煮込まれる過程で、
脂と赤身は柔らかくなりすぎ、
放っておくと分離してしまう。
楊枝は、その崩壊を防ぐための構造補強材だ。
料理になる直前まで、形を保つための鉄筋。
それを抜く瞬間、
炕肉は「構造体」から「料理」へ戻る。
この一手間すら、
食べる側に委ねられている。
白飯への「浸潤」
揚げ物の油は、白飯の上に乗る。
だが、炕肉の滷汁は違う。
それは白飯に染み込む。
濃い醤油色に変わった米粒。
脂を含んだ滷汁は、もはや副菜ではなく、
白飯そのものの味になる。
炕肉飯では、
肉を食べるというより、
「滷汁で炊かれた白飯」を食べている時間が長い。
台湾の弁当文化において、
脂身は忌避すべきものではない。
それは、
豊かさであり、
疲労回復であり、
午後を乗り切るためのエネルギーだ。
箱の隅の一本の楊枝
食べ終えた箱の隅に、
一本の楊枝だけが残っている。
揚げ物を食べた後のような、
喉を焼く乾きはない。
代わりに、
胃袋の底から、じんわりと温かい満腹感が立ち上がる。
炕肉飯は、
台湾の弁当屋における
最も優しくて、最も罪深い選択肢だ。
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