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台湾の弁当屋の雞排飯についての記録

台湾の昼は、積み上げられた弁当箱の壁から始まる。

薄い木や紙で作られた箱。
蓋を留めるのは、テープではなく一本の輪ゴム。

列に並び、メインを一品告げ、
ガラスケース越しに副菜を三つ選ぶ。

言葉が通じなくても、指差しだけで成立するこの流れは、
台湾全土でほぼ共通の昼の作法だ。

迷ったら、まずは基本を選ぶ。
この小さな箱の中には、台湾の食文化の「標準」が詰まっている。

ただし、
この標準規格から明らかに逸脱した存在もある。


蓋が閉まらないバグ

弁当を受け取った瞬間、
小さな違和感を覚えることがある。

蓋が、閉まっていない。

正確には、
閉めようとはしているが、
どう見ても物理的に無理をしている。

輪ゴムは限界まで引き伸ばされ、
箱の縁がわずかに浮いている。

原因は単純だ。
中身が多すぎるのではない。

メインディッシュの「投影面積」が、
弁当箱の底面積を超えているからだ。

時には最初から蓋を諦め、
巨大な肉だけが別の紙袋に入れられて渡されることもある。

雞排飯。

これは、
弁当というパッケージング・システムに対する
明確な仕様逸脱であり、
ほとんどバグに近い存在だ。


「叩く」というエンジニアリング

雞排に使われるのは、
主に鶏のむね肉だ。

調理前、
この肉はハンマーで徹底的に叩かれる。

目的は、
単に「大きく見せる」ためではない。

繊維を断ち切り、
パサつきやすい胸肉を柔らかくする。

厚みを均一に薄くし、
短時間で火を通す。

結果として、
肉汁が逃げる前に加熱が完了する。

この「薄く、広い」形状は、
見た目のインパクト以上に、
理にかなった工業的加工の成果でもある。

力任せに見えて、
実はかなり計算されている。


表面積と衣の比率

塊肉である雞腿が、
「肉そのもの」を味わう料理だとすれば、

平たく伸ばされた雞排は、
衣を味わうための料理だ。

表面積が広いため、
肉に対する衣の比率は極端に高くなる。

サクサクの衣。
多めに振られた胡椒塩。
そして、存在感を主張しすぎない薄い肉。

この三つが組み合わさることで、
雞排はスナック菓子に近い中毒性を獲得する。

理屈ではなく、
反射的に白飯が進む味だ。


「発掘」のような食事

弁当箱を開ける。

だが、
白飯も副菜も見えない。

視界を占めているのは、
巨大な茶色い一枚の大陸だけだ。

食べるためには、
まずこの肉を持ち上げる必要がある。

その下から、
ようやく副菜と白飯が姿を現す。

雞排飯は、
最初からすべてが見えている食事ではない。

掘り起こし、
制圧し、
ようやく全体像が見えてくる。

他の具材の存在を許さないほどの質量。
これはもはや食事というより、
一種の制圧戦だ。


量の贅沢を堪能する

雞腿飯が
「質の贅沢」だとすれば、

雞排飯は
明確に「量の贅沢」だ。

部活帰りの学生や、
肉体を酷使する労働者たちが
これを選ぶ理由は分かりやすい。

ここには、
繊細さをねじ伏せる
カロリーの説得力がある。

食べ終えた後、
指先には油の匂いが残り、
胃袋には確かな重みが残る。

少し疲れる。
だが、その疲労感すら含めて、
満足感は強烈だ。


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