―― 蓋に閉じ込められた「香りの爆弾」 ――
台湾の昼は、積み上げられた弁当箱の壁から始まる。
余分な水分と油を吸うための、薄い木や紙の箱。
蓋を留めるのは、テープではなく一本の輪ゴム。
慣れた足取りで列に並び、メインを一品告げ、
ガラスケース越しに副菜を三品選ぶ。
言葉が通じなくても、指差しだけで成立するこの流れは、
台湾全土で共通する昼の作法だ。
迷ったら、まずは基本を選ぶ。
排骨、雞腿、焢肉。
揚げ物が支配する弁当箱の世界で、
時々、異質な存在が視界に入る。
黒っぽい照り。
箱の隙間から、はっきりと漏れ出す強い香り。
それが、三杯雞飯だ。
「三杯」というアルケミー(錬金術)
三杯雞の名前は、
醤油・ごま油・米酒を「一杯ずつ」入れるという
素朴なレシピに由来すると言われている。
実際の比率は店ごとに異なるが、
重要なのは分量ではなく、状態だ。
これは煮込み(滷)ではない。
かといって、単なる炒め(炒)でもない。
水分を飛ばし、
タレを煮詰め、
鶏肉の表面に濃厚な膜として絡みつかせる。
台湾料理で言う「収汁(ショウジー)」という技法。
汁はほとんど残らないのに、
味の密度だけが極端に高くなる。
白飯に対する攻撃力という点では、
弁当メニューの中でも最上位に近い。
「九層塔」という主役
箱を開けると、
黒ずんだ緑色の葉が必ず混じっている。
九層塔。
台湾バジルだ。
イタリア料理で使われる
スイートバジルとはまったく別物で、
より野生的で、
アニスのような甘い刺激臭を持つ。
これがなければ、
三杯雞は成立しない。
醤油とごま油の重たい香りを、
この葉が鋭く切り裂く。
噛んだ瞬間、
一気に鼻へ抜ける強い香気。
肉を食べているはずなのに、
記憶に残るのはこの「葉っぱ」だったりする。
三杯雞を選ぶ理由は、
鶏肉ではなく、
九層塔そのものだという人がいるのも不思議ではない。
食べられる「生姜」と「大蒜」
三杯雞の箱をよく見ると、
肉の脇に別の主張が潜んでいる。
薄くスライスされた老姜(ひねしょうが)。
丸ごとに近い形で転がる大蒜(にんにく)。
これらは薬味ではない。
生姜は、ごま油で徹底的に炒められ、
カラカラに乾いたチップスのような食感になる。
大蒜は、
火が入り、
芋のようにホクホクと崩れる。
日本料理なら
「香り付け」として脇に退けられる存在だが、
三杯雞では、はっきりと「具」だ。
肉 → 生姜 → にんにく → 葉。
このリズムがあるから、
濃い味でも最後まで食べきれる。
九層塔の香りの軽さ
食べ終えた後も、
指先に、
服に、
部屋の空気に、
九層塔の香りが残る。
揚げ物のような油の重さはない。
だが、
ごま油と醤油が混ざったタレを吸い込んだ
最後の一口の白飯は、
確実に記憶に残る。
揚げ物に疲れた日。
あるいは、
暑さで食欲が落ちている夏の日。
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