―― 「垃圾不落地」が生んだ手渡しの習慣 ――
台湾の街を歩いていると、夕暮れに突然軽やかなメロディーが流れる。
ベートーヴェンの「エリーゼのために」か、あるいは「天国と地獄」。
その方向へ人が流れ、手には黄色のごみ袋。
最初は祭りかと錯覚するが、正体は「ごみ収集車」だ。
日本のように路上に袋を置くことはできない。
台湾の都市は、生ごみが外気に触れない設計を選んだ。
街を救うための「不便」
かつて台湾の街角は、今とはまったく違っていた。
湿度が高く、気温も高いこの島では、路上に置かれたごみはすぐに腐敗し、
悪臭・害虫・感染症の温床になっていた。
1970〜80年代、政府はついに腹を括った。
選んだ方針は、非常にシンプルで、そして過激だった。
「垃圾不落地(地面にごみを落とさない)」
落とさないには、
置かせないしかない。
そのためには、住民が直接トラックに手渡す方式が最も効果的だった。
都市が選んだのは、
便利さではなく、衛生だった。
台湾のごみ収集システムは、都市が生き延びるために決断した「不便の導入」である。
耳で運用される都市インフラ
この方針の上に構築されたのが、現在の「音で呼ぶごみ収集車」だ。
● 音楽がスケジュールの代わり
高層住宅が多い台湾では、視覚よりも聴覚のほうが街を統率しやすい。
収集車は、ベートーヴェンやショパンを流しながら走り、
住民はその音を“時刻表”として動き始める。
「音が聞こえたら外へ出る。」
これだけで、数百万人都市のごみ処理が日々成立している。
● 動線設計という見えないロジック
この運用は気まぐれではない。
人口密度・道路幅・通勤時間帯を分析して、固定ルート(経路網)が組まれている。
・夕方は住宅街を中心に
・夜は商業エリアへ
「人が車を探す」のではなく、
「車が人の生活リズムに合わせて流れてくる」——
この発想が台湾のごみインフラを支えている。
● 「袋」が思想を表す
台北市は有料の指定袋(黄色)。
ごみの量を可視化し、削減を促すためだ。
川を渡った新北市では制度が違い、透明袋で捨てられる。
袋の違いはそのまま、都市の価値観の違いを示している。
路上に立ち上がった“コミュニティ”
この不便な方式は、思わぬ効果も生んだ。
収集車を待つ数分間、
人々は自然と並び、挨拶を交わし、短い世間話をする。
マンションに閉じこもりがちな都市生活において、
このごみ捨ての時間は、皮肉にも「地域の再接続」となった。
音楽が近づけば、
玄関が開き、
人が集まり、
短い会話が生まれる。
それは、都市に残された最後のアナログな対話なのかもしれない。
都市を整える「不便のデザイン」
台湾のごみ収集車は、単なる不思議な慣習ではない。
衛生のために利便性を犠牲にした都市の決断であり、
音楽と動線で人々を緩やかに束ねるインフラであり、
結果としてコミュニティを育てる仕組みでもある。
音の来る街角は、台湾という都市の哲学がもっともよく現れる場所だ。
都市が健やかであろうとする意思そのものである。
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