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台湾の熱豆漿についての記録

高雄の朝。
時計はまだ八時を回ったばかりだが、路上の空気はすでに重く、湿っている。
コンクリートは夜の熱を手放しきれていない。
店先の鉄板から立つ湯気と、排気ガスと、蒸した豆の匂いが混ざり合う。

朝食屋のプラスチックの椅子に座っていると、
何もしなくても背中に汗がにじむ。
ここで求められるのは、普通なら冷たい飲み物のはずだった。

だが隣のテーブルでは、
ランニングシャツ姿のおじちゃんが、
湯気の立つ丼を前にしている。

中身は、熱豆漿。
白く濁った、ほとんどスープのような豆乳だ。

知識としては、
台湾には体を冷やさない医食同源の思想があることは知っている。
だがこの気温で、
あえて熱い豆乳を選ぶ理由は、すぐには理解できなかった。


浸すという動作

おじちゃんは、油條を箸で持ち上げる。
油條は、揚げた小麦の棒で、表面は乾き、内部には空洞が多い。

それを、
ためらいなく、
熱い豆乳の中に沈める。

一瞬、油が溶け、
生地が水分を吸い、
色が少しだけ変わる。

そして、
ふやけた油條を口へ運ぶ。

この動作は、
どこかで見たことがあった。

揚げた小麦粉を、
黒くないコーヒーのような液体に浸す。

記憶の中にあるのは、
アメリカ映画の一場面だ。
深夜のパトカーの中で、
警官がドーナツをコーヒーに浸して食べている。

同じ動きが、
ここ高雄の路上で、
白い豆乳と油條を使って繰り返されている。


ドーナツと油條

なぜ警官はドーナツをコーヒーに浸すのか。
それは味の問題というより、物性の問題だ。

時間が経ち、
乾いてボソボソになったドーナツは、
そのままでは口の中で崩れにくい。

だが熱い液体に浸すと、
糖と脂が溶け、
小麦が水分を含み、
一瞬だけ、最も食べやすい状態になる。

目の前の油條も、
同じ構造を持っている。

もしこれが、
氷豆漿だったらどうなるか。

油條に含まれるラードは冷えて固まり、
表面だけが湿り、
中は乾いたまま残る。
小麦と脂が分離し、
口の中でばらばらになる。

この暑さの中で熱豆漿を選んでいるのは、
精神修行のためではない。
油條を最もよく機能させるための、
液体としての選択に見えた。


豆乳というエスプレッソ

おじちゃんは、
油條を浸す合間に、
豆乳を単体で啜っている。

台湾の豆乳は、
単なる大豆の白い液体ではない。
多くの店では、
大豆を高温で煮る過程で、
表面にわずかな焦げが生じる。

この焦香味は、
永和豆漿のような老舗で特に顕著だ。
あの店の豆乳は、
甘さよりも、
焙煎に近い香りを持っている。

冷やすと、この香りは沈む。
熱いときだけ、
鼻腔の奥まで立ち上がる。

真夏でもホットのエスプレッソを選ぶ人がいるように、
豆乳にも、
熱でしか開かない層があるらしい。


合理性という形

油條は、
熱で柔らかくなる。
豆乳は、
熱で香りが立つ。

この二つを組み合わせると、
この気候の中でも、
一つの安定した朝食が成立する。

熱豆漿は、
単なる昔ながらの習慣ではなく、
油と小麦と香りを同時に成立させるための、
温度の選択に見えた。


それでも冷たいもの

理屈は、
ここまでで十分に揃った。
熱豆漿を飲む朝も悪くなさそうだ。

隣のおじちゃんは、
最後のひとくちを啜っている。

それでも今日は、
冷蔵庫から取り出されたばかりの、
紅茶豆漿を飲むことにした。

甘く冷たい液体が、
ストローを通って喉へ落ちる。
理性よりも、
体がそれを選んでいる。

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