―― 海を渡った調味料の記憶 ――
台湾の食堂で、卓上の瓶に目をやると、
茶色く濁ったペーストが置かれていることがある。
炒め物に混ぜ、鍋に溶かし、時にはそのまま舐める。
沙茶醬(サーチャージャン)は、
台湾料理の輪郭を底から支えている調味料だ。
甘いわけでも、辛いわけでもない。
どこか海の匂いを残しながら、
肉にも野菜にも入り込む。
この曖昧さこそが、沙茶醬の本質でもある。
起源は東南アジアにある
沙茶醬の祖先は、中国ではなく東南アジアにある。
福建や潮州の人々が海を渡り、
マレー半島やインドネシアで出会った
サテ(Satay)のピーナッツソース。
そこには、落花生、干しエビ、ニンニク、香辛料が使われ、
肉を焼くための濃厚なタレとして機能していた。
その味の記憶が、帰郷とともに中国沿岸部へ戻る。
「沙茶」という言葉自体が、
サテの音を漢字に置き換えた痕跡だ。
台湾で起きた再構成
台湾に渡った沙茶は、
そのまま再現されることはなかった。
ピーナッツの比重は下がり、
代わりに干しエビや魚粉、
大蒜と油が前に出る。
理由は単純で、
台湾の台所にある材料と、
日常的な使い方に合わせる必要があったからだ。
焼くためのタレから、
調理の途中で加えるベース調味料へ。
沙茶醬は、用途を変えることで定着した。
牛肉と結びついた理由
台湾で沙茶醬が最も力を発揮するのは、牛肉料理だ。
沙茶牛肉炒め、沙茶火鍋。
この組み合わせは偶然ではない。
台湾では牛肉文化が比較的新しく、
独特の臭みやクセをどう扱うかが課題だった。
干しエビとニンニクの強い香りを持つ沙茶醬は、
その輪郭を一気に覆い、旨味へ変換する。
結果として、
沙茶醬は「牛肉を台湾化する道具」になった。
家庭と業務のあいだ
沙茶醬は、家庭でも使われるが、
本領を発揮するのは業務用の厨房だ。
大量の油、強い火力、短時間の加熱。
そこに溶け込んだとき、
海産物由来の旨味が一気に立ち上がる。
一方で、家庭用に瓶詰めされた沙茶醬は、
その荒々しさを少し丸めてある。
台湾の家庭料理が、
食堂と同じ味にならない理由の一つでもある。
調味料という「移民」
沙茶醬は、純粋な台湾土着の調味料ではない。
東南アジアで生まれ、
中国沿岸で変質し、
台湾で再定義された。
それでも今では、
台湾料理を語るうえで欠かせない存在になった。
沙茶醬は、
人の移動とともに形を変え、
味として定着した「移民」だ。
鍋に一匙落とすと、
海の記憶と油の匂いが立ち上がる。
それは台湾という場所が積み重ねてきた、
混血の味でもある。
■関連記事:沙茶醬が主役の料理はこちら

■関連記事:台湾の香りを支える調味料はこちら

コメント