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台湾の朝食文化について記録

朝の台北を歩いていると、
鍋の音と油の音が、家の中ではなく、通りから聞こえてくる。

カフェではない。
レストランでもない。

豆漿店、早餐店、屋台のようなもの。
看板があるようでないような、
生活の延長のような場所だ。

台湾では、
朝という時間が、最初から外に置かれている。

なぜだろう、と思う。


家で食べない、という選択

台湾では外で朝食をとるという行為が、
特別ではない。日常だ。

1960年代以降の工業化で、共働きが当たり前になった。
朝は、家族の時間でも、台所の時間でもなく、
それぞれが出ていく準備の時間になっていった。

そこに、街が応じた。
早朝から開く店。
家より安くて、家より早い場所。

さらに台湾の暮らしには、
ゴミの時間と分別という制約がある。

自炊すれば、生ゴミが出る。
洗い物も増える。
袋を持ってゴミ車の音を待たなければならない。

朝はもう、十分に忙しい。
だから、外で食べるという選択は、
怠けではなく、合理だったのだと思う。


「大陸の朝」と「台湾の朝」

豆漿、油條、焼餅。
このラインナップは、中国大陸から持ち込まれた
いわゆる「粉もの文化」だ。

戦後、眷村とともに入ってきた生活様式は、
台湾の朝に、静かに根を張った。

ただし、そのままでは終わらなかった。

小麦文化の上に、
台湾の湿度と、人の密度と、
島の時間感覚が重なり、

豆乳は甘くもなり、
蛋餅は柔らかくもなり、
焼餅は巨大化した。

それは継承ではなく、
生活の中での再編集に近い。


美而美という発明

1980年代に入ると、
そこに「洋風朝食」という別の層が重なってくる。

美而美(メイアールメイ)。
ハンバーガー、サンドイッチ、紅茶。

それは、西洋の模倣ではなく、
台湾語で再設計された朝食だった。

パンは柔らかく、
ハムは甘く、
卵は分厚い。

そこには「安い西洋」ではなく、
「台湾の生活に収まる西洋」があった。

豆漿店と美而美は対立しない。
同じ通りに並び、
同じ朝を支えている。

その共存が、台湾の朝らしい。


選べること、急げること

台湾の朝食には、
細かく選べるという特徴がある。

豆乳は、無糖か半糖か。
温かいか、冷たいか。
蛋餅には、ハムか、チーズか、ツナか。

決まった形はない。
でも、流れはある。

注文すると、
店の中で鉄板が鳴り、
油が跳ね、
紙袋が手渡される。

数分もかからない。

これは、急いでいるからではなく、
朝を引きずらないための速度だと思う。

台湾の朝は、
長く居座らない。
すっと立ち上がって、
すっと流れていく。


朝食は、都市のインフラである

鹹豆漿。
飯糰。
大根餅。

ひとつひとつ見れば料理だが、
全体として見ると、
もはやインフラに近い。

それがなければ、
この通勤の流れも、
この通学の朝も、
うまく回らない。

家で作るものではなく、
街に用意されているもの。

そう考えると、
台湾の朝食とは、

料理というより、
都市機能の一部なのかもしれない。


朝の豆漿店の前で、
ビニール袋を提げた人が通り過ぎる。

それは栄養でも、観光でもなく、
ただの生活だ。

台湾の朝は、
いつもそこにある。

そして、
その大部分は、家の外にある。

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