―― 他の国の豆花はもっと白いはず ――
豆花を食べながら、ふと思う。
台湾の豆花は、なぜこんなに白くないのだろう。
丼の中をのぞいても、豆腐が見えない。
ピーナッツ、アズキ、緑豆、タピオカ、芋団子。
具材の層が、白い中心をすっかり覆っている。
香港や広東で食べた豆花は、もっと静かだった。
白い豆腐と、透明なシロップ。
それだけで成立していた。
同じ名前の料理なのに、
目指している場所がまるで違う。
「主役」と「脇役」
香港の豆花は、豆腐を食べる料理だと思う。
滑り落ちる舌触りと、大豆の匂い。
そこに具材を足すのは、
音楽にノイズを混ぜるような行為に近い。
一方、台湾の豆花は、最初から騒がしい。
何を足すかが主役で、
豆腐はその舞台装置に過ぎない。
これは失敗ではなく、
最初から別の設計だったのかもしれない。

Qという侵略者
台湾の食べ物を考えると、
どうしても「Q」という言葉に行き着く。
弾力。
噛みごたえ。
歯に返ってくる抵抗。
豆花そのものは、極端に柔らかい。
ほとんど飲み物に近い。
そのままでは、
どこか物足りない。
だから、芋団子を入れる。
タピオカを入れる。
ホクホクした豆を入れる。
豆腐は、
それらを受け止めるクッションになる。
主役だったはずの豆腐が、
土台に下がっていく。
氷がすべてを薄めていく
台湾の豆花には、氷が乗ることが多い。
しかも、細かくない。
粗い、シャリシャリした氷だ。
暑い街では、
冷たさが正義になる。
だが、氷が溶けると、
味は薄まる。
豆腐の繊細さは、
簡単に水に負けてしまう。
それを補うために、
味の濃い具材が必要になる。
これは豆花が変わったのではなく、
環境に合わせて、周囲が増えただけなのかもしれない。

豆に、豆をかけるという選択
台湾で最初に
豆漿豆花を見たとき、少し戸惑った。
甘いシロップの代わりに、豆乳をかける。
固体の大豆に、液体の大豆。
理屈では、くどい。
だが、実際に食べると、そうでもない。
味が重なるというより、
層になる。
豆腐を味わう、というより、
大豆という素材を、
別の角度から確認している感じがする。
台湾の豆花は、
味よりも構造に興味があるのかもしれない。
主役が入れ替わっただけ
他の国では、
豆花は豆腐を食べる料理だった。
台湾では、
豆花は具材を食べるための場になった。
豆腐は消えたわけではない。
ただ、前に出なくなっただけだ。
白いキャンバスは、
絵を描くためにある。
台湾の豆花は、
豆腐そのものではなく、
その上に広がる風景を楽しむ料理になった。
そう考えると、
この雑多さにも、
少し納得がいく。


