―― お好み焼きのような一枚 ――

台湾の街角では、
鉄板の上でヘラが生地を叩く「パン、パン」という音が頻繁に聞かれる。
同時に、
ラードとネギが焦げる匂いが、
路地の空気に混じっていく。
葱油餅(葱抓餅)とは何かと問われれば、
小麦粉、水、ネギ、塩、油で構成されるものと説明される。
材料は極端に少ない。
しかし実際には、
同じ材料を使っているにもかかわらず、
店ごとに食感と風味は大きく異なっている。
この薄い円盤は、
しばしば「小麦のキャンバス」として機能しているように見える。
北から南へ流れた小麦の記憶
葱油餅の起源は、
中国北方の麺食文化にあるとされている。
山東省などの寒冷地では、
稲作よりも小麦が主となり、
それに伴って「麺食(ミェンシー)」が発達していた。
1949年の国共内戦後、
国民党軍とともに多くの外省人が台湾へ渡った。
その人々が、
この小麦の料理を持ち込んだと考えられている。
当初それは、
故郷を思い出すための味だった可能性がある。
しかし台湾には、
豊富なネギがあり、
高温多湿な気候が油を多く使う調理と相性を持っていた。
そのため、
この料理はこの土地で独自の変化を遂げたと見られている。
ここで一つの俗説が語られることがある。
「ピザのルーツは、
マルコ・ポーロが葱油餅を持ち帰ろうとして失敗したものだ」
という話である。
史実として証明されたものではないが、
料理が文化を越えて移動するという想像を促す点で、
しばしば言及される。
この伝説は、
葱油餅がヨーロッパのパン文化と遠くでつながっているかのような、
歴史的な余韻を付け加えている。
層が生み出す食感
葱油餅は、
単に小麦粉とネギを混ぜて焼くものではない。
生地を伸ばし、
油を塗り、
それを巻き上げ、
渦巻き状にしてから、
もう一度伸ばす。
この工程によって、
クロワッサンに似た幾重もの層が内部に形成される。
焼くときにヘラで強く叩かれたり、
揉み込まれたりするのは、
この層の間に空気を含ませるためだと説明されている。
その結果、
外側は酥脆(サクサク)し、
内側はQ弾(モチモチ)した食感になる。
朝のエネルギーとして
葱油餅は、
台湾では朝食としても機能している。
とくに一般的なのは、
卵と一緒に焼く「葱油餅加蛋」である。
これに豆乳(豆漿)を組み合わせるのが、
朝の定番とされる。
炭水化物、
タンパク質、
油脂を同時に摂取できるため、
忙しい朝のエネルギー補給として合理的であるように見える。
この点で、
水溶き生地を使う蛋餅(ダンピン)とは性格が異なっている。
午後の顔として
午後になると、
葱油餅は別の役割を帯びる。
学校帰りの学生や、
小腹が空いた大人たちのためのスナックとなる。
この時間帯に選ばれるのは、
分厚い葱油餅だけではない。
より薄く、より油をまとった
葱抓餅(ツォンジュアビン)を扱う屋台も多い。
同じ小麦とネギを使いながら、
こちらは「食事」よりも
「パリパリとした間食」に寄った存在に見える。
花蓮や宜蘭では、
「炸蛋葱油餅」と呼ばれる進化系が知られている。
これは焼くというより、
油で揚げる。
中の半熟卵が割れ、
油とソースが流れ出す。
朝の実用性とは異なり、
こちらは純粋な快楽に近い。
この形は、
歩きながら食べる「Walking Food」として、
夜市文化とも接続している。
ネギという主役
台湾で葱油餅が評価される理由の一つに、
ネギの質があるとされる。
とくに宜蘭の三星葱は、
水がきれいな土地で育ち、
甘みが強く、
辛味が穏やかだと言われている。
このネギは、
薬味ではなく、
野菜としての存在感を持っている。
それが生地の中に大量に折り込まれることで、
葱油餅は単なる粉ものではなくなっている。
シンプルなまま残るもの
小麦粉とネギと油。
どこにでもある材料だからこそ、
そこには作り手の技術と、
土地の歴史が反映される。
朝の豆漿店で食べる一枚も、
夕暮れの屋台でかじる一枚も、
それぞれに台湾という場所の時間を含んでいる。
葱油餅は、
そのような日常の断片として、
街の中に存在し続けているように見える。




