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ベトナム高原に根付いた台湾茶についての記録

ベトナム中南部、ラムドン省。
標高は1,000メートルを超え、朝晩はひんやりとする。

赤土の起伏に沿って、茶畑が広がる。
段々の形、畝の間隔、作業道の取り方。
どこか見覚えがある。

南投県の鹿谷や名間。
台湾中部の茶産地と、風景がよく似ている。

ここで育てられているのは、現地の古い品種ではない。
青心烏龍、金萱。
台湾から渡ってきた茶の系譜だ。

なぜ、海を越えたこの地に、
台湾茶の大きな分家が生まれたのか。


1990年代の移動

きっかけは、台湾側の事情だった。
1990年代、経済は成熟し、人件費は上がった。

茶を作るコストも上昇する。
収量は限られ、価格で勝負はできない。

岐路に立った一部の茶農家は、外へ目を向けた。
技術と苗木を携え、南へ渡る。

選ばれたのが、ベトナムの高原だった。
気温、霧の出方、土壌。
台湾の産地と驚くほど条件が近い。

彼らはゼロから始めたわけではない。
長年、山で身につけたやり方を、そのまま持ち込んだ。

土地は違っても、考え方は同じだった。


味が再現される理由

肥料の配合。
摘む時期の見極め。
発酵の進め方。

細かな判断は、台湾で培われた感覚に基づく。
機械の設定も、作業の順序も、ほぼ変わらない。

出来上がった茶は、
台湾の低海抜産と比べても遜色がない。

ときに、それ以上に安定している。
気候が素直で、極端な天候が少ない年もあるからだ。

本家と分家。
育った水と空気は違う。
だが、流れている考え方は同じだ。


世界需要との接点

2000年代以降、
台湾発のドリンクは世界に広がった。

タピオカミルクティー。
フルーツティー。
甘く、香ばしい飲み物。

だが、台湾は小さな島だ。
世界中の店舗を支える量を、単独では賄えない。

そこで役割が分かれた。

台湾の産地は、
高級茶として、味と物語を磨く。

ベトナムの高原は、
安定した品質と量で、基礎を支える。

多くの茶葉は、台湾へ戻る。
大手チェーンの工場で使われ、
ペットボトルやカップの中に入る。

飲む側は、その出自を意識しない。
それでも、確かにそこにある。


分家としての存在感

街角のドリンクスタンド。
何気なく手に取る一杯。

その奥には、
海を渡った茶師たちの選択がある。

彼らは前に出ない。
名前も表に出ない。

だが、台湾のドリンク文化という大きな構造は、
この分家なしでは成り立たない。

高級茶の影で、
静かに量を支える存在。

分家とは、劣化ではない。
拡張であり、継続だ。

ベトナム高原の茶畑は、
台湾茶が生き延びるために選んだ、
もう一つの居場所なのである。


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