―― 資本戦争と、動かない王者「50嵐」 ――

今では、タピオカミルクティーは特別な飲み物ではない。
東京の駅前でも、パリの商店街でも、ニューヨークのショッピングモールでも、黒い粒の入った甘いミルクティーを手軽に買うことができる。
それはもはや台湾料理というより、
コーヒーやスムージーと同じ棚に並ぶ「世界標準の飲み物」に近い。
だが、この状態は最初から約束されていたわけではなかった。
どこかの企業が世界戦略として設計したわけでもない。
その拡散は、意欲にあふれた小さな伝道師たちによるものだった。
伝道師たちの時代
2000年代から2010年代前半にかけて。
タピオカミルクティーが世界に広がり始めた最初の波を作ったのは、台湾のチェーンだった。
CoCo都可とChatime(日出茶太)。
彼らが果たした役割は、単なる店舗拡大ではない。
彼らは「タピオカの伝道師」だった。
台湾の味を、レシピとしてだけでなく、
カップの大きさ、甘さの段階、氷の量、
そしてシェイクの回数まで含めた標準化された手順として世界に持ち出した。
マニュアルと原料をセットにして、
北米、東南アジア、オセアニアへと種を蒔いた。
この時代の競争は、味の優劣ではなかった。
いかに早く空白地に旗を立てるかという、陣取り合戦だった。
タピオカはこの段階で、
「台湾のローカル飲料」から「国際フォーマット」へと姿を変えていた。
大陸からの巨人(第2フェーズ)
2010年代後半になると、風景が変わる。
舞台に現れたのは、中国資本だった。
ハイエンド側には、喜茶(HEYTEA)。
フルーツ、チーズフォーム、洗練された内装、高価格帯。
ローエンド側には、蜜雪冰城(Mixue)。
極端な低価格、爆発的な店舗数、圧倒的なスケール。
彼らが持ち込んだのは、
台湾にはなかった資金量とデジタルマーケティングだった。
アプリによる会員管理。
SNSを前提とした「映える」設計。
都市を短期間で埋め尽くす出店スピード。
この時点で、タピオカ屋は
個人の生業から、投資家が参戦する資本の戦場へと変質していく。

差別化要因の変化
かつて、差別化の中心は「味」だった。
茶葉の配合。
シロップの甘さ。
タピオカの茹で時間。
だが、それらは容易にコピーされる。
資本が入った後の世界で、
競争軸は次の二つに集約されていった。
一つは資本力。
ブランド構築、内装、IPコラボ、アプリ開発。
もう一つはサプライチェーン。
新鮮な果物を安く仕入れる力。
自社で茶畑や包材工場を持つ力。
台湾の個人店が世界で戦うには、
あまりにも過酷な総力戦になってしまった。
動かない王者「50嵐」
その中で、台湾国内に異様な存在がある。
黄色と青の看板を掲げる、50嵐だ。
彼らは海外に進出しなかったわけではない。
だが、「50嵐」という名前を海外に持ち出さなかった。
海外では、KOI Théという別ブランドを使い、
本体のブランド毀損を避けた。
CoCoやChatimeが世界に打って出る間、
50嵐は台湾国内の足場を固めることに集中した。
店舗数も意図的に追わなかった。
実際、台湾で最大の店舗数を持つのは清心福全であり、50嵐ではない。
フランチャイズの拡大も抑制した。
その結果、
どの店で飲んでも味がブレないという信頼が残った。
流行のフルーツティーやチーズフォームにも、彼らは距離を取った。
茶とタピオカという軸を崩さずに残した。
台湾というシリコンバレー
世界市場では、
中国資本の「量」と「資本」が主導権を握った。
だが、タピオカの「質」と「原点」は、
今も台湾に残っているように見える。
50嵐の振る舞いは、
グローバル化だけが正解ではないことを示している。
世界が「映え」と「資本」に引っ張られている間、
台湾の街角では、
今日も黄色い看板の下で、
紅茶とタピオカが静かにシェイクされている。






