―― 味覚を錯覚させる仕組み ――
湯気が立ちこめ、匂いが入り乱れ、プラスチックの椅子が並ぶ。
夜市の風景は、決して洗練されてはいない。
高級レストランのような食材があるわけでもなく、
技巧を凝らした盛り付けがあるわけでもない。
それでも、夜市で食べた一口は、
ときどき妙に記憶に残る。
なぜなのか。
「おいしいからおいしい」で済ませず、
一度だけ、その仕組みを考えてみる。
初速に全振りしたドーパミン・メニュー
夜市の料理は、長距離走を想定していない。
勝負は、最初の一口だ。
塩分はやや強く、
糖分は分かりやすく、
油分は遠慮がない。
後味の余韻や、繊細な香りの変化よりも、
脳の報酬系を即座に叩くことを優先している。
食べ歩きという前提において、
「じわじわ旨い」は効率が悪い。
必要なのは、
一瞬で「来た」と感じさせる初速。
私たちが夜市で感じているのは、
料理の深みというより、
本能に直結したドーパミンの立ち上がりなのかもしれない。
「80点」を外さないシステムの力
夜市の多くの屋台は、
誰が作っても、だいたい同じ味になる。
これは偶然ではない。
セントラルキッチンで仕込まれた食材、
配合済みの調味料、
工程を削ぎ落としたオペレーション。
必要なのは、
優れた料理人であることではなく、
手順を正確に実行することだ。
その結果、
突出した100点は出にくいが、
致命的な30点も出ない。
常に「期待通り」の味が出てくる。
この工業的な安定感が、
私たちの安心と満足を支えている。
稀に混じる「時間の結晶」
ただし、夜市のすべてがシステムではない。
数十年、
ひとつの料理だけを作り続けてきた店が、
ぽつりと混じっている。
メニューを増やさず、
工程を変えず、
ただ同じことを繰り返す。
その結果として残るのは、
味そのものというより、
時間の厚みだ。
合理性が支配する市場の中で、
そこだけが別の速度で流れている。
夜市に「奥行き」を与えているのは、
こうした特異点の存在なのだと思う。
最後の一振りは、やはりあの「雰囲気」
初速の強さ。
80点を保証する仕組み。
稀に出会う、時間の結晶。
それでも、
どこか足りない。
最後に味を完成させているのは、
結局、あの場所そのものだ。
ネオンの光。
人の声。
バイクの音と、湿った夜気。
これらが混ざり合った空気の中で食べるから、
同じ料理でも、少しだけおいしく感じる。
どんな厨房にも再現できない、
あの雑踏こそが、最大の隠し味なのだろう。
だから私たちは、
またあの蒸し暑い夜へ出ていく。




