―― 骨を巡る二つの解法 ――
マニラの市場では「Bangus」と呼ばれ、台南の街角では「サバヒー(虱目魚)」と呼ばれる。
銀色の体を持つ、同じ魚である。
生物学的には同一種。
違うのは名前だけではない。
両国が向き合ってきたのは、二百本を超える小骨という、変わらない物理的制約だ。
この魚をめぐる記録は、
不便さをどう処理してきたかという、南洋の比較文化でもある。
フィリピンの論理──油で解く
フィリピンでは、Bangusは国魚に近い位置づけを持つ。
家庭料理の中心で、日常の魚だ。
代表的な解法が、Daing na Bangus。
酢とニンニクで下味をつけ、高温の油で揚げる。
骨は抜かない。
砕く。
油の熱量で骨の存在感を消し、
酸味で泥臭さを抑える。
味覚は、物理を力でねじ伏せる。
このやり方は産業化とも相性が良かった。
骨抜き加工は規格化され、
真空パックで海外へ出ていく。
Bangusは、移民コミュニティを通じて世界へ広がった。

台湾の論理──水で精密化する
一方、台湾では事情が違う。
サバヒーは、鮮度と脂を尊ぶ料理の文脈に置かれる。
台南を起点に、
腹身を澄んだスープで煮る料理が発達した。
脂の甘みを、隠さずに出す。
煮る調理では、骨をごまかせない。
だから台湾は、別の方向に進んだ。
一本ずつ、骨を抜く。
外科手術に近い精密さで、
小骨を完全に除去する。
骨を除くことで、脂だけを残す。
引き算によって、純度を高める発想だ。

交差する現在──労働がつなぐ文明圏
2020年代、
台湾のサバヒー産業を現場で支えているのは、
フィリピンから来た労働者たちである。
養殖池、加工場、骨抜きのライン。
中心に立つのは、Bangusを扱い慣れた手だ。
故郷で培った身体知が、
台湾の精密な需要を満たしている。
油で解いてきた文化の担い手が、
水で仕上げる文化を下支えする。
逆転した役割分担が、日常として成立している。

共有された執念を味わう
Bangusとサバヒー。
二つの名前は、同じ魚に対する二つの解決策を示す。
ある国は油で砕き、
ある国は技術で抜いた。
自然の制約は同じでも、
選ばれた道は異なる。
そして今、それらは物流と労働を介して重なっている。
この魚を口にすることは、
南洋を横断する生存の知恵をなぞることに等しい。
同じ骨を、
違う方法で越えてきた。
その積み重ねが、今日の一皿に残っている。



