―― 崩れる菓子と鉄道の記憶 ――
太陽餅を、きれいに食べ切った経験がある人は少ない。
一口かじった瞬間、薄い皮の層が乾いた音を立てて崩れ、机や服の上に粉雪のように広がる。食べる側に一切の配慮をしていない、難易度S級の菓子である。
それでも太陽餅は、長年にわたり台湾土産の定番であり続けてきた。
なぜ、これほど「扱いにくい」菓子が生き残ったのか。その答えは、太陽餅が生まれた都市・台中と、内部に仕込まれた麦芽糖という素材にある。
プラットホームで生まれた間食
台中は、台湾を南北に貫く鉄道網のちょうど中間に位置する。
蒸気機関車の時代、台中駅は給水や機関車交換のために比較的長い停車時間が設けられていた。
この「止まる時間」が、商機を生んだ。
ホームでは立ち売りが盛んになり、安く、素早く、確実に空腹を満たせる食べ物が求められた。
太陽餅の前身である「麦芽餅」は、その条件にぴったりだった。
軽く、腹持ちがよく、包装を開けてすぐ食べられる。太陽餅は郷土菓子というより、鉄道網が生んだモビリティ・フードだったと言える。

なぜ中身は砂糖ではなく麦芽糖なのか
太陽餅の核心は、餡にある。
使われているのは砂糖ではなく、麦芽糖だ。
砂糖は冷えると結晶化しやすく、時間が経つと舌触りが荒れる。一方、麦芽糖は保水性が高く、ねっとりとした柔らかさを長く保つ。
この性質が、太陽餅の構造を決定づけた。
外側は乾燥した薄皮。中は湿った麦芽糖。この湿度差があるからこそ、皮は崩れ、餡は流れない。
パイナップルケーキが果実の酸味を閉じ込めた保存食だとすれば、太陽餅は穀物の甘みとラードの香りを最大化した、即席エネルギー補給装置である。
「太陽」という名前の発明
もともと、この菓子は「麦芽餅」という素朴な名前だった。
戦後、台中の菓子店が改良を重ね、丸い形状と明るいイメージから「太陽餅」と名付けたとされている。
中身は相変わらず麦芽糖だ。
しかし、名前に「太陽」を冠したことで、この菓子は一気に都市の象徴になった。
晴天率が高く、開けた平野に広がる台中。その土地の印象を、菓子一枚に封じ込めることに成功したのである。
太陽餅は味覚だけでなく、都市イメージを運ぶメディアでもあった。
崩れることが前提の設計
太陽餅は壊れやすい。
だが、それは欠陥ではない。
乾いた皮が崩れ、麦芽糖がゆっくりと伸びる。その一連の挙動は、設計通りだ。
鉄道の振動、立ったままの飲食、短い時間。そうした条件の中で食べられることを前提に、最適化されてきた結果が、この「もろさ」なのである。

崩壊を受け入れるという解決策
地元の人間は、太陽餅を無理にきれいに食べようとしない。
豆乳や杏仁茶に浸し、皮を溶かしながら食べる。
崩壊を抑え込むのではなく、融解へと転換する。
その柔軟さこそが、太陽餅が長く生き延びてきた理由なのかもしれない。
粉を払いながら食べる一枚の菓子。
そこには、台中駅のプラットホームと、通過していった無数の旅人の記憶が、今も残っている。



